鬩ぎ合う「川口」

承前*1

abさんご

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黒田夏子の短篇「虹」。前回、主人公が〈海それ自体〉とでもいうべきものを経験するパッセージに言及した。今度は河口の描写。これに続いて、タイトルになっている「虹」*2が登場し、主人公は或る種の勢いのようなものによって、或る衝撃的なことを想起・告白してしまう*3


川岸はとても危い。海辺の川岸はまるで粘りのない砂の、草も生えず、始終水の位置が動くために決して固まらず、思いも掛けないところから崩れ落ちてしまう。こんなに雨続きの時は却って水嵩が溢れ出ているからそんな危険はないが、一旦こうして深く刳られたあとで水が減ると、岸は切立って下を水で削り取られ、なんとも脆く子供の一蹴りでなだれ、その余勢で次々と驚くほど長い距離が落ち続ける。承知で戯れに崩してみる時はいいけれど、迂闊に近付きすぎて急に崩れられると大人でも転落しかねないし、川口の渦に巻込まれでもしたらことである。タミエは自分の町の川でさんざん見聞きし、用心しいしい崩して遊ぶこともよくあったので、ぼんやりしながらもかなり離れたところで立ち止まった。それでも川口の黒っぽい水の、底の方で揉み合っているような揺れ方はつぶさに見えた。
川は烈しく流れ込もうとし、海は強情に己れの差引を繰返している。その執拗な暗闇の果に流れ入った川の水は、一瞬後には海そのものとなり、流れ込む力に抗って再び川へ逆流する。一見無益に蕩尽される莫大な力の量が、黙々と、精魂こめて押し合い、川口で溢れて、水は広く浜を覆った。波頭が遙か遠くまで川面を這い上がって行ったかと思うと、また思い切りよく引いてしまう。かれど、その冗談のようなやりとりは、底の果たし合いの真剣さの。せめてもの偽装のようでもある。
かなりの間、タミエは川口に見入っていたが、やがて動く水の怕さが我慢できなくなって来て頭を上げた。
と、タミエは息を呑んだ。虹が出ていた。大きな虹であった。さっきからタミエが目指して来たペンキ塗の風景の真上に、虹は闊達に華麗に架かっていた。(pp.45-46)
何故この場面に惹かれたかといえば、ここで描かれている「川口」が、私が「川口」に対して抱いているイメージとは全然違ったものだからだ。私のイメージ或いは経験においては、「川口」とは「川」と「海」とが「烈しく」鬩ぎ合う場所ではない。逆に、「川」と「海」の対立がなし崩しになる決定不能性の場所。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140725/1406257367

*2:「虹というものを一度も見たことがないというのが、タミエの密かな劣等感であった」(p.38)。

*3:何を想起・告白するのかということは、ネタバレという野暮を犯すことにもなるので、言わない。