新垣の物語?

承前*1

西田シーゲルト「ゴースト作曲家・新垣隆氏の封印された壮絶な経歴...夜逃げ、露天商、妻が重病説も」http://n-knuckles.com/media/mass/news001196.html


Wikipedia*2に一時書かれていたという新垣隆氏のライフ・ヒストリーに関する記述;


青森県下北郡大間町生まれ。幼少期は津軽海峡をはさんで函館山恵山岬を見て過ごす。家業はマグロの一本釣りであったという。不安定な生活に嫌気のさした両親に連れられ、夜逃げのようにして故郷を捨てる事となったことは、後の新垣の音楽性に大きく影響している。

上野に着き、浅草で露天商を営むが、業績のあまりに低いことから廃業して親戚のつてを頼り葛西へ移住。

成績は中の下であったというが、音楽だけは常にトップの成績であったことから、将来は音楽によって恵まれない人々に希望を与えていこうと決意したと伝えられる。千葉県立幕張西高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部作曲科卒業。作曲を三善晃、南聡、中川俊郎、ピアノを森安耀子に師事。

転機は、1996年ごろ、佐村河内守と出会ったことであった。

当時新垣の妻千恵子は結核に冒され、新垣の薄給では薬餌代が賄えなかった。そのため、本業の音楽活動の傍ら肉体労働に勤しむようになる。

その現場で出会ったのが佐村河内であった。その時の出会いから佐村河内守ゴーストライターを18年間務めた。

現在、桐朋学園大学非常勤講師。

Wikipediaで上のパッセージを読んだことはない。真であれ偽であれ、佐村河内守の物語に負けず劣らず(通俗的な意味で)ドラマティックではある。しかしながら、信憑性は低いといえるだろう。例えば、「結核」は国費治療の対象だからだ。これは「結核」というよりも癆痎と呼ばれていた時代のイメージだよ。
「不安定な生活に嫌気のさした両親に連れられ、夜逃げのようにして故郷を捨てる事となったことは、後の新垣の音楽性に大きく影響している」。もうちょっと具体的な話がほしいよね。彼の楽曲には幼児期に聴いた津軽三味線の響きが感じられるとか。(「露天商」ということで)バナナの叩き売りのリズムが反映している、とか。