猪瀬について色々

承前*1

瀬尾忠義「特集ワイド:KOされた猪瀬都知事 選んだ434万票って誰」http://mainichi.jp/shimen/news/20131219dde012010018000c.html


曰く、


投票当日の毎日新聞出口調査によると、20代から70代以上までの全年齢層で6割を超える人々が猪瀬氏に票を投じ、男女差はなかった。広い層からまんべんなく票を集めたことは間違いない。
また、森まゆみさん*2のコメントが載っている;

09年までの四半世紀、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を出し続けた作家の森まゆみさん(59)を訪ねた。「私の周りに猪瀬さんに投票した人はいない。同じ地域に暮らしているのに出会わないなんて不思議」。まるで二つの東京があるようだと言うのだ。「猪瀬さんは、副知事時代は知事を狙って選挙運動をしていたようなものだし、官僚打破を看板に掲げ目立ってもいましたよね。東京の住人は地域とのつながりが薄く、知名度の高い人を選ぶ傾向があるから、そのときの風向きによって票が集中するのでしょう」

 領土問題などもあって、風は右から吹いていた。

 東京って、昔からそうだったのか。「美濃部亮吉知事の頃(1967〜79年)までの東京は戦後民主主義の力が強く、ビキニ水爆実験反対や安保闘争を経験した確固とした意思を持つ市民層があった。地域社会の崩壊とともにその層もいなくなり、有権者は糸の切れたタコのように、風の赴く先へと流されるようになってしまった……」

 森さんは今、20年東京五輪に向けての国立競技場新築を景観や維持費の面から再考するよう都や国に求める運動をしている。「それを知って『あれもすべきだ、これもしたら』と言ってくる人は多いけれど、自ら行動する人は少ない。お任せ民主主義というのでしょうか」

また、宮城県や宮崎県や神奈川県のお下がりは嫌だよねという話;

三浦さん*3はキーワードとして「首都・東京都民のプライド」を挙げる。近年の都知事選には他県の知事だった浅野史郎氏(07年・宮城)、東国原氏(11年・宮崎)、松沢氏(12年・神奈川)が立候補した。それ自体、都知事選特有の現象だが、石原、猪瀬両氏の前にことごとく敗れ去った。「よそでの経験があるからといって東京の知事が務まるのかという思いがある。都民にも郷土愛があり、昨日まで『私の県が一番』と言っていた人が今度は『東京が一番!』と訴えても、受け入れられにくいでしょう」

 知事経験者だけではない。さかのぼれば石原信雄・元内閣官房副長官明石康・元国連事務次長ら大物も勝てなかった。小林教授は言う。「都民はヨソ者や、中央が決めた落下傘候補には冷たいんです。猪瀬氏は長野生まれではあるが、作家や副知事として東京で活躍している人物と受け止められ、この条件をクリアしたのでしょう」

東京新聞』の記事;

政界入り 次第に自慢

2013年12月19日 夕刊

 無名のルポライターから売れっ子作家、そして知事の座へ。辞意を表明した東京都の猪瀬直樹知事は人生半ばの四十代に入ってから、一気に階段を駆け上っていった。しかし、その果てに待っていたのは、都庁からわずか一年での退場劇という結末だった。

 「僕は三十代で幸せになりたかった」。猪瀬氏は作家として名前が売れた後の五十代前半、知人にこうつぶやいたことがある。

 「幸せ」になるために抱き続けた上昇志向。その先にたどり着いたのが、都知事の椅子だった。

 猪瀬氏が世に知られるようになったのは一九八七年、「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞してから。しかし、出世作は完全なオリジナルではなく「タネ本があった」と、ノンフィクション作家の池田房雄さんは指摘する。調査や資料集めで猪瀬氏を支えた、かつての仲間の証言だ。「独創性はない。参考文献に載せていないのもおかしい」。別の関係者は「猪瀬氏は大宅賞をすごく欲しがっていた」と振り返る。

 政治の世界に関わり始めたのは二〇〇一年、小泉政権下で行政改革断行評議会の委員に就任してから。〇二〜〇五年に務めた政府の道路公団民営化推進委員会では、分割・民営化の中心的役割を果たした。

 三十年ほど前から付き合いがある雑誌編集者の花田紀凱(かずよし)さんは、猪瀬氏が政治に関与していく中で「自己宣伝し、自慢するようになった」と話していた。

 行革に携わる中で石原伸晃行革担当相(当時)と面識を得て、そこから石原慎太郎前知事と知り合った。副知事に就いたのは〇七年。東京メトロ都営地下鉄の一元化といった改革を提唱したが、都議会からは「実現性に乏しい」「事前に相談がない」など、政治手法を批判された。

 昨年十二月の知事選。四百三十三万もの票を集め、「ギネス記録申請」との話も出た。「東京から日本を変えたい」と繰り返し、九カ月後には五輪招致にも成功した。しかし、権力の座から降りるのもあっという間だった。(永山陽平)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121902000243.html

ミカドの肖像*4のことを「 独創性はない。参考文献に載せていないのもおかしい」と言っている池田房雄という方は、

1950年(昭和25年)2月15日、高知県高岡郡中土佐町に生まれる。
1970年4月、法政大学文学部英文学科に入学。
1976年3月、同大学学科を卒業。建設業界紙、政界紙へて、1980年秋にフリーライターに転向。
週刊現代」「週刊ポスト」の長期連載担当取材記者をへて、86年から週刊誌や総合雑誌を中心にノンフィクションを執筆。テーマは薬害エイズ事件。 書評は月に一本程度書き、「週刊読書人」のノンフィクション年末回顧文の執筆は、すでに10数年におよんでいる。
91年4月よりジャーナリスト専門学校専任講師。2009年4月同校退職。
趣味は古本収集と散歩。
http://www.amudesu.co.jp/ikeda.html
という方*5
ミカドの肖像〈上〉 (新潮文庫)

ミカドの肖像〈上〉 (新潮文庫)

ミカドの肖像〈下〉 (新潮文庫)

ミカドの肖像〈下〉 (新潮文庫)

また、「佐野眞一3猪瀬直樹‐盗用疑惑を追う」*6という記事あり*7。猪瀬に関しては、

猪瀬氏は『ミカドの肖像』で(’86年)で佐野氏に先駆けて大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。しかし、それには『堤義明 悪の帝王学』(早川和廣著’81年)、『西武商法 悪の構図』(草野洋著’83年)の2冊のネタ本があったと指摘される。 『ミカドの肖像』のハイライト部分は、旧皇族北白川宮家の所有していた土地を西武鉄道グループの堤康次郎氏が取得したことにあるが、それらのカラクリが先の2冊に書かれていた。『ミカドの肖像』のあとがきには参考文献が膨大に挙げられているにもかかわらず、この2冊については全く触れられていないのだ。  ほかにも菊池寛賞を扱った『いのちの王国』、『黒船の世紀』『ピカレスク』などでも、関係者が“パクリ疑惑”を指摘している。猪瀬氏を知る関係者は「書くほうから書かれるほうになり、いままでのことが蒸し返される可能性もある」と洩らす。
草野洋という人*8は知らないけれど、早川和廣という人は一応Wikipediaに項目もある人で*9、ビジネス関係や新宗教関係の暴露本的ノンフィクションをけっこう出していた。『新興宗教の正体』はたしか読んだことがある筈。
新興宗教の正体

新興宗教の正体


猪瀬直樹としても、参考文献リストにこの2冊を記載しておけばここまで叩かれなかったのにね。ところで、ノンフィクション作品に詳細な参考文献リストやインフォーマントのリストが要請されるようになったのはけっこう最近のことではないか。