あきみ

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130603/1370187461に対して、


osaan*1 2013/06/03 14:16
>http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100809/1281324549
もしかしてこちらのエントリーへの私のコメントがひっかかったのでは。
だとしたらお騒がせして申し訳ない。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130603/1370187461#c1370236582
いえいえ、とんでもないです。
さて、

osaan 2010/08/09 14:20
そういえば井上陽水幸徳秋水の孫、という噂があったなと思いググってみましたところ、
孫ではなく別の説が出回っているようですね。発信元は武田鉄矢か……
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-1769.html
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100809/1281324549#c1281331231
ですね。
それで、この「井上陽水幸徳秋水の関係」というエントリーを引用してみましょう;

知り合いのOくんが「デイリースポーツ」1月22日付のコピーを持ってきてくれ、「これ読んで」と
出したのが、武田鉄矢*2の「なんで?なしてや!?」。そこで武田さんは井上陽水幸徳秋水のことを次のように書く。

龍馬――中江兆民――幸徳秋水の関係を書いたあと、その幸徳秋水を「慕った土佐の若者で井上という男がいた。秋水がテロリストとして処刑されたことに井上は絶望し、この一族はひそかに土佐を脱し、福岡県筑豊地方の炭坑町へと移り住んだ。ひこで井上家はその血脈をつなぎ、明治、大正、昭和と命をつなげ、戦後は歯科医院を営んでいた」とつづける。

その井上家に生まれた男の子に当主が名づけたのが、秋水を慕った先祖の思いをいかして「陽水(あきみ)」と名づける。
それが井上陽水だというのだ。

これまでも「井上陽水幸徳秋水の孫」。
そこまでいかずとも「血縁関係にある」との噂が流れたことがあるが、
この武田鉄矢さんの説は、陽水のご先祖が秋水を慕っていたという点で新しい説である。

しかし、陽水の父上は若水
別に陽水だけに「水」がついているわけではない。

幸徳秋水が刑死したのが、1911年1月である。
井上陽水のご先祖がそのことに失望して土佐を離れたとして、
数年後に若水さんが生まれ、秋水にちなんだ名前をつけられたとする。

その若水さんが、ふるさとの幡多郡佐賀町のたっての願いを受けて帰郷し、
間もなくなくなったのが1970年ごろ。
陽水は「人生が二度あれば」(1972年)のなかで
「父はことし2月で65」と歌っている。

Wikipediaを信じると、井上家が筑豊に移ったのは、陽水の祖父の代ではなく、父親の代。父親は高知県幡多郡佐賀町生まれの軍医で、戦争中に赴任先の朝鮮の京城(現在のソウル)で、後に陽水の母親となる女性と知り合い結婚し、敗戦後夫人の故郷である福岡県直方市に引き揚げた。そして、陽水が生まれた直後に田川郡糸田で歯科医を開業した。なので、この武田鉄矢の説は成立し難い。
こういう武田鉄矢の説がそれなりのもっともらしさを持ってしまうひとつの根拠としては、もともと「陽水」がヨウスイという音読みではなく、「あきみ」という些か無理のある訓み方をしていたということがあるのではないだろうか。他方、「秋水」を「あきみ」と訓むことはもっと容易い。
ところで、井上陽水五木寛之と対談本(『青空ふたり旅』)も出しているが、たんに同じ筑豊の人ということだけでなく、朝鮮からの引揚げという接点を持っていることになる。五木寛之は自身が朝鮮からの引揚者であり、陽水は朝鮮引揚者の息子。