ライ麦畑とマンハッタン

デルタ航空の機内誌から。

大和田俊之「アメリカ、文学の地を訪ねて キャッチャー・イン・ザ・ライ」『SKY』2013年5/6月号、p.17


マンハッタンはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて*1ホールデン・コーンフィールドホールデン・コールフィールドが「生まれ育った実家のある」街である。


(前略)この作品が謳う「大人社会への反発」を文字通りに受け取るわけにはいかない。ある批評家*2がいうように、ホールデンは「ホームから逃走するためにホームに帰還する」からだ。
同じように、ニューヨークという街を「汚れた世界」の比喩としてのみ受け取ると、この作品を読み間違えることになるだろう。セントラル・パークの両側に建つ自然史博物館やメトロポリタン美術館は、無垢さそれ自体が閉じ込められた空間として描かれており、だからこそホールデンはここで妹フィービーとの再会を望むのだ。
無垢(イノセンス)と汚染(コラプション)、見知らぬもの(スペクタキュラー)と見慣れたもの(ファミリアー)、そして変わるものと変わらないもの−−『ライ麦』のニューヨークは、何よりもこうしたアンビヴァレントな特質が混在する街として描かれている。