一票の格差問題を巡って幾つか

承前*1


「いわゆる「一票の格差」再考ー「日本国憲法の哲学」のための覚書その4」http://d.hatena.ne.jp/shin422/20121021/1350825476


2009年の総選挙に対する最高裁判所違憲判決について。
ここでの論点は「憲法論」と「政策論」との兼ね合いについて。また「観念上の主体」としての「全国民」と「具体的な有権者団」の関係について、ということになるか。


大屋雄裕*2「定数配分訴訟と「選良」の限界」http://synodos.jp/politics/2273


少し抜き書き;


広島高裁判決が出た際、まさか無効判断までが出るとは思っていなかった原告団が「勝訴」の垂れ幕を用意しなかったというエピソードが、複数の新聞であたかも微笑ましいものであるかのように紹介されていた。しかしこのことが示唆しているのは原告団自身に勝つ気がなかったこと、勝った場合の法的な解決策がない以上勝てるはずがないと思っていたことではないだろうか。仮に、訴訟を通じて定数配分を実質的に修正することを少しでも考えていたのならばもっとも有権者の多い千葉4区(497,350人)をまっさきに対象にすべきだろうが、そのような訴訟は提起されていない。

要するにこの訴訟は「一票の価値が不平等である」という事態を訴訟という道具を用いてアピールし、可能ならば裁判所にも正当な主張だと認定させ、そのことをもって立法府にしかるべき立法措置を実現させることを狙った「政策形成訴訟」の一種である。そのため、本当に勝ったらどうするか、この特定の訴訟方式によって勝つことが問題の解決に結び付くかといったこと、要するに《後始末の付け方》についてはまったく考慮されていないということになるだろう。

「定数配分訴訟」の「無責任性」を批判する一方で、「選挙制度の設計・改善に関する実質的な権限を立法府から剥奪し、中立的な第三者へと委ねさせること」を提案している。ところで、選挙の「無効」が現実のものになったらどうなるのかという想定がとても興味深い。


松尾匡*3参院選共同名簿はウィン・ウィンのアイデアhttp://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__121222.html


「非拘束名簿式」の面白い可能性について。