煬帝の墓

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130415/k10013939021000.html(Via http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130416/1366070841


隋の煬帝の墓が江蘇省揚州市で発見さる。とはいっても揚州市内(それも今回の発掘場所に比較的近い場所)には既に「隋煬帝陵」が存在するのだが*1。中国語の報道では取り敢えず2つをマークしておく。最初のものは香港の『文匯報』の記事;


「揚州発現隋煬帝真陵墓」http://paper.wenweipo.com/2013/04/15/CH1304150017.htm
陶敏「隋煬帝真墓現揚州」(『揚州晩報』)http://news.hexun.com/2013-04-15/153150160.html


煬帝の場合、「帝」という字は何故か知らないけれどテイではなくダイと念む。
煬帝の暴政がどの程度まで事実で、どの程度まで後世のフィクションなのかはわからぬが、煬帝といえば大運河の開削だろう。揚州はその大運河の要所。運河の開削も暴政の一つとして言及されることが多いわけだが、そもそも開削の動機も江南への行楽のためだったとも言われる。ただ煬帝の道楽としての大運河開削は江南の生産力を中原や北京の朝廷が捕捉することを可能にする一方で、後には江南を呉越の地という辺境から中国文化の中心へと押し上げた(cf. eg. 井波律子『酒池肉林』)。煬帝的な北方人の〈江南コンプレックス〉は清朝になって反復されることになる(cf. 楊念群『何処是”江南”?』*2 )。

酒池肉林―中国の贅沢三昧 (講談社現代新書)

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