零で割る?

赤木智弘*1「小学生が教わる、おかしな掛け算おかしな割り算」http://blogos.com/article/51448/



ネット上で「9÷0=?」という式が話題になっている。
 ある小学校でこれの答えを0と教えているということに対して、ネット上では「それはおかしい」という議論が沸き起こっている*2

 あたり前のことだが、0で数字を割ることはできない。計算機で叩けば当然エラーがでるし、=の左右で数字を交換すれば、式が全く成り立たなくなってしまう。

赤木氏は自ら「デタラメな教育」という〈9÷0=0〉を一概に否定することはできないという。曰く、

こうした問題が出た時に、ネットの論者達はドヤ顔で自らの正しさを叫び、相手の間違いを声高に指摘する。しかし学校が行なっているのは先生が子供に知識をひけらかすことではない。知識レベルのバラバラな子供たちを相手にしながら、全体的にそれなりのレベルで理解をうながすことが学校の役割である。そうした思考の結果として「ひとまず0ということにする」という教え方がされているのではないか。

 もちろん「0で割ってはいけない」や「解なしと書けばいい」と教えることはできても、その一方で0の割り算ができない理由を、子供が本当に理解することができるのか。むしろ理解できないことで数字を嫌いになりはしないかと、僕は考えてしまう。

 大人になれば0で割ることを考えて、頭がゆわんゆわんとすることを「数字の面白さ」と考えることもできるだろうが、子供であればそれを「数字の気味悪さ」と捉えても不思議ではない。ならばとりあえず「0と理解しておく」ことも、教育方針として決して間違いだとは言い切れないのではないか。

 そう考えた時に「ひとまず0で割った時には0だと教える」ことは、知識的には間違いだとしても、実践として間違いだと言えるかどうか、僕は掛け算の順序ほどの強さをもって、それを間違いだと断ずることはできない。

コメントでも言われていたけれど、〈9÷0=0〉を小学生に納得させるのはかなり難しいと思う。これがおかしいというのは、数学的な知識の有無に拘わらず、かなり直観的にわかることなのではないか。


8÷8=1
8÷4=2
8÷2=4
8÷1=8
8÷1/2=16


と割る数が小さくなればなるほど、答え(商)は大きくなる。それなのに、いちばん小さい数である0になったら商の方も一気に落ち込んで0になるというようなことを納得するのは極めて難しいのではないか。グラフを描けばさらに一目瞭然だ。なので、0という見え透いた嘘を教えるよりも「解なし」と教えておいた方がいい。
さて÷0の正解って無限(∞)ですよね。かなり昔のことだけど、コンピュータに÷0を計算するよう仕向けるウィルスがあったと思う。このウィルスに感染すると、コンピュータは無限を求めてCPUが焼け切るまで計算を続けるという。だから電卓で「エラー」になるというのは一種の〈防衛〉機能なのでは? 小学校の教育現場で÷0がやっかいなのは、無限という深淵を小学生に垣間見せかねないからなのではないだろうか。
赤木氏のタイトルの「おかしな掛け算」とは掛け算の順序問題。


例えば、「お皿が5枚、1つのお皿にリンゴが3個ずつ乗っています。リンゴは全部でいくつでしょう」という問題があるときに、「5×3=15」と書くと間違いで、「3×5=15」と書くのが正解であると、少なくない学校で教えているのだという。なぜなら、掛け算は「かけられる数×かける数」として計算しなければならず、「皿に乗ったリンゴの数×お皿の数」という式を作れなければ不正解という考え方があるらしい。
この問題は以前に採り上げたことがあるのだが*3、黒木玄氏*4の「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」*5が参照されていたので、メモしておく。