福祉国家以前へ?

http://www.j-cast.com/tv/2012/06/20136264.html(Via http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20120624


テリー伊藤*1、所謂ナマポ叩き*2に抗して曰く、「(生活保護費で)パチンコやってなにが悪い。アダルトビデオを楽しんだらいけないのか。いいじゃないですか。人間、生きてるんですから。そんなことまで全部クーポン券で規制するなんて、北朝鮮と一緒ですよ」。テリーの言っていることは全くの正論なのだが、それにしても「パチンコ」が何故これほどまで(特にネット圏で)嫌われるのかというのは知識社会学的問題として依然として謎のままだ*3。(憶えたくはなかったが)「パチンカス」なる新語まで憶えてしまったよ。
さてナマポ叩きに見られるような貧者に対する(物理的な意味での)シバキ主義は、そのマンタリテにおいて、福祉国家以前(英国史でいえば20世紀初頭のliberal welfare reforms*4以前)にまで逆行してしまっているということは言えるのか、それとも言えないのか。その意味で、


Jeremy Seabrook “Cameron's attack on the 'feckless poor' has a very long historyhttp://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/jun/26/feckless-poor-cameron-long-history


は一読の価値あり。現在キャメロンと連立政権を組んでいるLib Dems*5liberal welfare reformsをかつて主導した自由党の後身であることは皮肉といえば皮肉ではある。
ただやはり21世紀は昔とは違うわけで、現代のそれはポピュリズムにずぶずぶに浸かっているということがあるだろうし、また近世のシバキには貧者をシバくことによって勤勉で生産的な主体へと鍛えるという建前があったのに対して、現代のシバキはシバキそれ自体が自己目的化しているのではないか、とか。