レーニンの行方

Howard Amos “Lenin's sojourn as curio corpse may be over” http://www.guardian.co.uk/world/2012/jun/13/lenin-corpse-may-be-interred


1989年にYuri Khariyakinがソヴィエト議会で、レーニンは生前サンクト・ペテルブルグ(レニングラード)にある自らの母親の墓の傍らに葬られることを希望していたのであり、したがってレーニンの遺体を赤の広場の廟から動かすべきだと主張したとき、彼の発言は多くの人の怒りの対象となった。レーニンの姪であるOlga Ulyanovaは(Yuri Khariyakinが述べた)おじの遺言は「真っ赤な嘘」*1であると主張した。それ以来、蘇聯が崩壊して20年にもなるのに、露西亜の政治指導者にとって、レーニンの遺体を赤の広場から動かすことはタブーとなっていた。しかしプーチンが大統領として再び返り咲いたことによって、事態が動く可能性が出て来た。新政権の文化長官Vladimir Medinskyは、レーニンの遺体は「土の中に葬られるべきだ(should be interred in the earth)」と或るラヂオ番組で発言した。彼はまた、「高位の公的人物」として、レーニンの葬儀が再び「国家儀礼」として行われるべきだとも発言した。赤の広場レーニン廟は蘇聯指導者が軍事パレードの観閲を行う場所でもあったが、Vladimir Medinskyはそれを蘇聯歴史博物館に転換する可能性もあるとしている。
なお「人民の観光の対象となってしまった」北京の毛沢東については、春名徹『北京――都市の記憶』*2、p.57*3を参照のこと。

北京―都市の記憶 (岩波新書)

北京―都市の記憶 (岩波新書)

*1:英語の表現を直訳すれば「素面の嘘」。

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090309/1236571370

*3:Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090310/1236651685