政党助成金と供託金

カマヤン曰く、


日本の政党助成金は、ドイツの174%(およそ倍)、フランスの315%(およそ3倍)、イギリスの660  6600%(66倍)。

人口比に対する日本の国会議員数は、ドイツの70%、フランスの38%、イギリスの25%。

政党助成金をドイツ並みくらいに減らして、国会議員数をドイツ並みくらいに増やすのが、順当だと思うわなあ。こういう情報を知っていると。

「身を削れとは、政党助成金を削れということだ」というのが理屈として確かに順当だが、そういう言説がマスコミに全然流れないあたりが情報操作というものなんだろうなあ。

マスコミが言うきっかけとなると信じて、私もここに書いておく。「『身を削れ』とは、ドイツの倍額の政党助成金を削れということだ」
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120119/1326984883

政党助成金」の意義というのは前々からよくわからなかったのだ。現実的にどうなっているのか知らないけれど、「政党助成金」という制度は、政治資金の政治家に対する再分配を巡って、権力を派閥のボスから各党の〈党中央〉へと移動させる可能性があるとはいえるだろう。「政党助成金」制度を後押しした人にはそういう思惑を持った人もいるわけだろう。〈党中央〉に権力が集中することによって、政治家個人とか派閥の個性ではなく、党としてのアイデンティティがよりクリアになり、また一貫したものになる。それが政権交代が可能な二大政党制の基礎となる筈だ。「政党助成金」制度を支持した人たちはこう考えたのかな。山口二郎氏もそうだけれど、1990年代以来の所謂政治改革の議論では重要な参照点として英国の二大政党制というのがあった筈だ*1。ただそれにしては英国の「政党助成金」はきわめて少ない。たしかに議員の活動、特に立法のための調査・研究活動に対する国費による助成は必要だろう。しかしそれが「政党助成金」である必要はない。議員個人に調査・研究費として直接渡せばいいのだ。また「政党助成金」によって(国費つまり税金に由来する)政治資金が個人としての政治家の公共的な貢献度に応じてではなく、〈党中央〉に対する権威主義的な忠誠度や媚びに応じて分配される可能性もあるわけで、それに対しては不公正であるという異論も出て来るだろう。以前議員定数を削減しろとか言っている人たちは「政党助成金」制度反対という点において日本共産党と共闘しろよと思ったことがあるのだが、この考えは今もあまり変わらないのだ*2
また、カマヤン氏は日本の選挙における「供託金」が諸外国と比べて高いことを指摘している*3。ただこの数字は物価水準等との関係において補正が必要であるとは思う。また問題は「供託金」が高いかどうかではなく「供託金」という制度の存在それ自体であるようだ。上脇博之氏は「選挙の妨害や売名など不正な目的をもった者が立候補すること」を「抑制」するための「供託金」制度は「日本国憲法がかつての君主主権および制限選挙を否定し、国民主権(前文、第1条)および普通選挙(第15条)を採用し、議員および選挙人の資格について差別を禁止していること(第44条)から考えると、憲法上許容されない」と述べている*4。こうした議論はかなり納得できる。
ところで、「供託金」は個人でできる〈愛国的行為〉の可能性を示しているといえないこともない。財政赤字が膨らんで消費税を大幅に上げなければ国家の破滅だとお嘆きの人は選挙に立候補して供託金を国庫に献上すればいいということになる。
「供託金」制度批判は野坂昭如「タレント候補」(『毎日新聞』2010年5月22日)も参照のこと*5