「ヘイズ・コード」か

スピルバーグアメリカ映画(1)ハリウッド映画における規制の歴史」http://d.hatena.ne.jp/Motoharu0616/20110701/1309534013


http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110815/1313428814で50年代ハリウッド映画の問題を述べた際にも、米国における映画の表現規制の問題は重要であり言及しておかなけれならないだろうと思ったのだが、「ヘイズ・コード」という名辞を失念していた(orz)。なので、以下のような具体的な叙述はとても勉強になった。


ここで話は唐突に1930年代のアメリカに遡る。なぜ80年もの過去に遡及するのかといえば、先に述べた「アメリカ映画」の原点が、表象のレベルでも政治的レベルでもこの時代に認められるためである。その理由は1934年から68年のアメリカ映画が「ヘイズ・コード」の時代であったという点に尽きる。ヘイズ・コードー 正式にはアメリカ映画製作配給社連盟による「倫理綱領」 ーとは、この期間アメリカ映画において設けられた検閲制度である。当初は流行しつつあったギャング映画に対する牽制目的で導入されたヘイズ・コードであるが、数年後のカトリック団体の圧力により、さらなる厳格な運用が要求される。その結果、PCA(映画製作倫理規定管理局)が発足し、暴力表現・性表現に関する表現規制アメリカ映画を支配することになる。この規制導入の中心的役割を果たしたのが、ヘイズ・コードにその名を残す共和党政治家ウィル・ヘイズ、そしてPCAの別名「ブリーン・オフィス」に名を残すカトリック系ジャーナリストのジョセフ・ブリーンである。驚いたことにこの両名は、当時の社会的に風当たりの強さに耐えかねたアメリカ映画業界が、本格的規制の予防線を張るために自主的に招いた人物であるという事実である。日本での「ビデ倫」「映倫」と同じ戦略である。しかし映画業界の思惑は外れたのだろうか、PCAによる業界への介入は想像以上のものであった。彼らは、作品がヘイズ・コードに適合しているかどうかを、クランクイン前の脚本の段階からチェックし、修正要求を出し、さらに完成後の試写の段階でもう一度チェックするという極端な介入をしたのである。

 規制の内容としてはさすが保守政治家やキリスト教団体と言うべきか、倫理に厳格なパターナリズム全開のものである。一般原則として、「映画は人生の正しい規範を示すべきであり、観客を犯罪や不道徳なことに共感させてはならない」と述べ、映画内容に道徳性や規範が求められている。暴力表現に関しては「残忍な殺人を詳細に示してはならない」「現代における復讐を正当化してはならない」として、窃盗、強盗、金庫破り、爆破などの具体的行為まで禁止が及んでいる。性表現では、「結婚の制度ならびに家庭の神聖さを称揚せねばならない」として保守的な家族観・結婚観を侵犯してはならないとされる。夫婦でも過剰なキスや性行為は禁止であり、浮気、異人種間の恋愛、レイプ、出産シーンなどが禁止されている。さらに相手を冒涜する言葉として、性的な俗語、ののしり言葉、差別語が「禁止語」としてリストアップされている。衣装としてはヌード、脱衣、過度の露出は禁止。「宗教」「国民感情」の項目では、あらゆる宗教とその聖職者、そして全ての国旗と国家、その歴史や制度を、嘲笑してはならないとされる(ヘイズ・コードの内容は、加藤幹郎『映画 視点のポリティクス 古典的ハリウッド映画の闘い』を参照 )。

ただ、この「ヘイズ・コード」と1940年代のハリウッド「黄金期」との間に「ハリウッド黄金期はあくまでもヘイズ・コードの存在によって支えられており、ヘイズ・コードと共存することによってハリウッドはその命脈を保つことができたのではない」という因果関係を設定できるかどうかは難しいと思う。これだと、「黄金期」と「ニュー・シネマ」の間の過渡期である1950年代や60年代前半を説明できない。「ヘイズ・コード」の廃止は1968年であるのに対して、「物語優位」から「視覚優位によるスペクタクル化」への転換は既に1950年代に始まっているからだ。やはりマッカーシズムによる人材への打撃と新興メディアであるTVへの対抗という因子の方が大きかったのではないかと思う。
さて、映画における「ヘイズ・コード」が廃止された後も厳重な表現規制に支配されていたのはほかならぬTVだった。Shogunという安土桃山から江戸時代初期の日本を舞台にしたドラマがあるが、そこでは(セックスではなく入浴ではあるが)島田陽子の正面からのヌード・シーンが出てくる。しかし、米国の表現規制ではプライム・タイムに放映するドラマにおいて白人女性の正面からのヌードは御法度であった(Sheridan Prasso The Asian Mystique*1, p.69)。
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スピルバーグアメリカ映画(1)ハリウッド映画における規制の歴史」に戻る。「ニュー・シネマ」とその後について;

こうしたヘイズ・コードの精神はある程度は残存したものの、ヘイズ・コード廃止後のアメリカ映画は、これまでとはまったく異なる方向性に足を踏み出すことになる。それはアメリカン・ニューシネマの大ブームである。一般的にはニュー・ハリウッドと呼ばれるこの区分けは、『俺たちに明日はない』(67)、『卒業』(67)、『イージー・ライダー』(69) に代表的な一連の作品群を指す。その特徴は、反体制的・反権力的な若者の精神的な葛藤を描いた作風であり、ベトナム戦争反対の機運やヒッピー・ムーブメントとの密接に関連しているこれら映画は、従来のハリウッド映画的な物語優位の原則には無縁であり、基本的な撮影技術や編集技術を一切無視した野放図な手法によって製作されていた。先行世代との徹底的な断絶を価値判断の中心基準に据えていたアメリカン・ニューシネマの時代に青春時代を送ったスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスは、しかし、彼らの手法をひたすら拒絶することによって、後の大成功の素地を固めていった。この時期は、スピルバーグは、カリフォルニア州立大学を中退し、71年にテレビ映画として公開予定の『激突!』(71)の製作準備に奔走しており、ルーカスは南カリフォルニア大学を卒業し、ワーナーのスタジオで研修中フランシス・フォード・コッポラと意気投合し、初監督作品『THX 1138』(70)を製作していた頃である。
たしかに、ルーカスの『スター・ウォーズ*2を観て、「ニュー・シネマ」は終わったなという印象を確定した人は多い筈だ。というわけで、ルーカス/スピルバーグを「ニュー・シネマ」の否定とする視点は妥当なものだろうと思う。ところで、1970年代以降の米国映画の変容をコッポラやマイケル・チミノなどの伊太利系監督の擡頭と絡めて、米国映画の伊太利化(Italianization of American cinema)として論じていた人がいたが、例によって出典は忘れた。それから、「ニュー・シネマ」における「基本的な撮影技術や編集技術を一切無視した野放図な手法」については、仏蘭西のヌーヴェル・ヴァーグの影響を指摘した人もいる筈。ところで、「ニュー・シネマ」の重要性は寧ろキャラクター論的な準位にあったといえるかもしれない。かっこよさとか男らしさといったことの再定義。「ニュー・シネマ」以前においては、エリオット・グールドにしてもダスティン・ホフマンにしてもジャック・ニコルソンにしても、或いはジーン・ハックマンにしてもスターとしてブレイクすることはなかったのでは?*3
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