円高の問題?

http://d.hatena.ne.jp/kechack/20110730
http://d.hatena.ne.jp/samurai_kung_fu/20110803#p1
http://h.hatena.ne.jp/shigeto2006/243583103484458649
http://h.hatena.ne.jp/shigeto2006/243600696322329014


いくらグローバル化のご時世とはいえ、外国にいると故国の事情には疎くなる。例えば、最近の高岡蒼甫という人(宮崎あおいの配偶者?)の呟きに端を発した「韓流」バッシング騒動。それを聞いたときに思ったのは、何で今頃になって? ということだ。日本のご婦人方が「ヨン様」に嵌まったのは既に2000年代前半の出来事に属す。それから何年経っているんだよ(林香里『「冬ソナ」にハマった私たち』という本が2005年に出ているが、入手はしたものの、まともには読んでいない*1)。四方田犬彦氏は2005年に「「ヨン様」とは何か−−『冬のソナタ』覚書」(『新潮』2005年7月号)という論攷を発表しているが*2、そのとき既にそれが〈周回遅れ〉の議論だということは四方田氏自身によって認められていた。かくしてこの騒動については、根本的なところで?がいっぱいなのだ。

ドラマに限定すれば、「韓流」が亜細亜を席捲した契機には日本ドラマの放映権が高騰し、その代替品として放映権が安かった韓国ドラマに亜細亜のTV局のバイヤーが目をつけたということがあるだろう(See eg. 酒井亨『哈日族』)。だから、制作コストが上昇すると、「韓流」には「寒流」が押し寄せることになる*3。もし「韓流」が一時の「寒流」を乗り越えて日本で再起してきているとすれば、それは円高傾向と無関係ではないだろう。円高においては輸入商品が押し並べてお買い得になるが、TVドラマだって例外ではない*4
哈日族 -なぜ日本が好きなのか (光文社新書)

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あと幾つかランダムに。
熱湯浴の攻撃の矛先が「フジテレビ」にも向いているという。熱湯浴だって、『正論』だの3K新聞だのの発行が可能になっているのは「フジテレビ」のもたらす稼ぎのおかげだということを知らないわけではないだろう。3K新聞がなくなってほんとうにいいの?
ところで、「韓流というレイシズム」というエントリーを書きながら、実は自らが(「韓流」を単純にバッシングするだけの熱湯浴以上に)凶悪なレイシストであることを露呈してしまっている奴がいるのだけれど*5、それに対して1点だけ反論しておく。「韓流」ドラマは「エキゾチシズムとかエスニシティ」を前面に出してマーケティングされているわけではない。上に挙げた四方田犬彦氏の論攷に触れた拙文を再録しておく;

  四方田氏は、『冬ソナ』について、「ここにはほとんどといってよいほど、韓国的な痕跡が存在していない」という。登場人物たちは、「キムチなど見たこともないといった表情で毎日を生きている」(p.208)。さらに、その人たちは、「あたかも韓国が悠久不変の社会であるかのように振る舞って」おり、「韓国現代史をめぐって、チュンサンのみならず全員が、記憶喪失に罹っているのだ」(p.213)。また、最近の韓国映画と『冬ソナ』とは「貨幣の裏表の関係にある」。曰く、「『冬のソナタ』の世界では禁忌とされ、排除されてきたもののすべてが、あたかも下水道を流れる水が地下で巨きな水溜りを形成するかのように、同時期のラディカルな韓国映画の世界にあって増幅され、拡大処置を施されて跳梁している」(p.214)。また、『冬ソナ』は、『美しき日々』(これって、今NHKで放映中なんですよね?)とは対照的に、「韓国人に固有の心情だとこれまで信じられてきたハン[恨]の呪縛からも、距離を置いて制作されている」(p.217)。
だからこそ、亜細亜全域の都市中流階級(及びそれに憧れる人々)の感情移入が可能になっているのだろう(これについては、土佐昌樹『アジア海賊版文化』も参照のこと)*6。また、それ故、(「侍功夫」氏の指摘に反して)実は各国でリメイクするのは意外と容易なのかもしれない。それから、音楽における「韓流」でも事情は似ているのではないか。ヒップホップやR&Bをベースにしたグローバルなポップ・ミュージックのローカライゼーション。何よりも「韓流」に先立つ〈日流〉の成功自体が日本というエスニシティorナショナリティの脱色に拠るところが大きかったということはよく指摘されていることなのではないか(eg. 岩渕功一『トランスナショナル・ジャパン』)。
アジア海賊版文化 (光文社新書)

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トランスナショナル・ジャパン―アジアをつなぐポピュラー文化

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さて、韓国は世界で唯一北朝鮮と正面から対峙している国家であり、「韓流」が対北の情報戦において戦略的な意味を有してもいるということは否定できないだろう*7陰謀理論的に思考すれば、この「韓流」バッシングの政治的背景を疑うというのは自然なことではあろう。
日本において「韓流」バッシングが吹き荒れる一方、実は最近(改めて)韓国映画を見直している。『春香秘伝』を観て、かなりやるじゃん! と思った。韓国の民族的古典『春香伝』の裏ヴァージョンともいえるこの作品、やはり韓国国内のナショナリストどもからのバッシングに遭遇したらしい。TVドラマについては、韓国だろうが日本だろうがあまり食指が動かず、視たいぞと思うのは米国流のおしゃれなsit. com.か、或いは英国流のブラックなコメディのみ。
春香秘伝 The Servant 房子伝 DVD

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TV(特に地上波)や歌謡曲というのはメディアやジャンルの特性としてナショナリズムを惹き付けてしまうということがあるのかも知れない。他方、ファッションの世界では国家は全く正面に出ない。語られるのは、伊太利や仏蘭西や米国や日本という国家ではなく、あくまでもミラノ、巴里、紐育、東京といった都市である(山崎正和『社交する人間』、p.246)。音楽でも、ロック(特にインディ・ロック)やクラブ音楽で強調されるのは国家よりも都市であろう。
社交する人間―ホモ・ソシアビリス (中公文庫)

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(新らしもの好きということで)「韓流」が気に食わないという人は、それに代えて(例えば)〈タイ流〉を叫べばいいと思うよ。(私はまだあまり観てはいないけど)タイ映画が急速に面白くなっているという話は屡々聞く。