中村とうよう

ちょっと衝撃的だな。
『朝日』の記事;


音楽評論家の中村とうようさん、自宅から飛び降り自殺か



 21日午前10時15分ごろ、東京都立川市柴崎町2丁目の10階建てマンションの敷地内で、8階に住む音楽評論家の中村とうよう(本名・東洋)さん(79)が頭から血を流して倒れているのが見つかった。中村さんは市内の病院に運ばれたが、まもなく死亡した。警視庁は自宅の腰高窓から飛び降り自殺をしたとみている。

 立川署によると、中村さんは一人暮らし。署員が駆けつけた時、自宅玄関には鍵がかかり、室内に自殺をほのめかすメモがあったという。

 中村さんは「ミュージック・マガジン」の元代表取締役で、武蔵野美術大の客員研究員を務めていた。

 関係者によると、21日に複数の知人に「葬儀は行わないで欲しい」などと書かれた手紙が届いたという。
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201107210520.html

また、『スポーツニッポン』;

中村とうようさん自殺か ほのめかす文書発見


 21日午前10時すぎ、東京都立川市柴崎町2丁目のマンション敷地内で、音楽評論家の中村とうよう(本名・中村東洋)さん(79)が倒れているのを通行人が見つけ、119番した。中村さんは頭を強く打っており、搬送先の病院で死亡した。

 警視庁立川署は、中村さんがマンション8階の自宅から飛び降り自殺を図ったとみている。

 立川署によると、中村さんは1人暮らし。部屋から自殺をほのめかす文書が見つかった。

 中村さんは京都府出身。銀行員を経て音楽評論活動を始め、1969年に音楽雑誌「ニューミュージック・マガジン」(現・「ミュージック・マガジン」)を創刊。89年まで編集長だった。2008年から武蔵野美術大で客員研究員を務めていた。

[ 2011年7月21日 16:34 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/07/21/kiji/K20110721001255150.html

中村とうよう*1という人の音楽止まらない言説には様々な賛否があることだろう。しかし、ロック、ジャズ、ブラック・ミュージック、ラテン、さらには亜細亜や中東やアフリカの音楽、さらには邦楽に至る音楽知識の広大さは誰も否定できないだろう。勿論その半面で、(現代音楽を含む)クラシック的なものには敵意に近いものが感じられ、そのとばっちりを受けたのがプログレッシヴ・ロックというジャンルだったわけだ。岩波新書から出た『ポピュラー音楽の世紀』は良質なポップ・ミュージック入門書であるだけでなく、グローバライゼーション(研究)入門書としてもお薦め。
ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

ところで、中村とうよう渋谷陽一*2の共通点。ヨウという音。中村とうようが元銀行員なのに対して、渋谷陽一は銀行員の息子であること。また、どちらも吉本隆明の影響を受けていること(See 篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』)。
日本ロック雑誌クロニクル

日本ロック雑誌クロニクル

1980年代が遠のいたということで;

鴻上尚史主宰 劇団「第三舞台」が解散へ 


 1980年代の「小劇場演劇ブーム」の中心的存在で、筧利夫勝村政信ら人気俳優を輩出した劇団「第三舞台」を主宰する鴻上尚史(52)が21日、東京都内で記者会見し、11月から来年1月にかけて行われる公演「深呼吸する惑星」を最後に、同劇団を解散すると発表した。

 鴻上さんは解散を決めた理由について「“故郷”(劇団)に正式に別れを告げた方が、クリエーターとして次の地平に行けるのではないかと思った」などと語った。

 「第三舞台」は、鴻上が早大在学中の81年に結成。作・演出を鴻上が担当し、テンポのよいせりふ回し、ダンスやギャグを交えて時代を切り取る作風が若者の人気を集めた。代表作に「朝日のような夕日をつれて」「天使は瞳を閉じて」など。

 2001年の公演後、鴻上は「大きくなって10年後に再会したい」として同劇団の活動を封印していた。

[ 2011年7月21日 12:30 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/07/21/kiji/K20110721001254560.html