個体発生と系統発生とか

「現在40歳の人の「あの時代」についての話」http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110711/1310313274


俺は現在50歳だけど、何か?
このnakamurabashiという人の言説には以前も言及したことはある*1。それはさて措き、


三十代半ばから後半かあ……。

 シロクマさんには、世代的にはかなり近いものを感じる。

 その世代がどういう十代を過ごしたかというと「いい大学に行っていい会社に就職して、将来はマイホームを持つべし」っていう同調圧力は相当にすごかった。

 ついでにいうと「男らしさ」を要求をされた最後の世代でもあったと思う。

 あれは80年代初頭くらいまでかなあ、少年マンガでは「恋愛」を扱うことはほとんどなかった。もちろん各少年誌にひとつくらいは「ラブコメ」の枠はあったと思うんだけども、それを読んでることを、周囲の人間に知られることは、コミュニティ内での自分の立場にけっこう強めのダメージを与えた。実際は商業ベースで成立してたわけだから「隠れて」読んでた人間はかなりいたはずなんだけども。

 ましてや少女マンガとなれば、これを読む男はストレートに「変態」だった。たいていの本屋では「男の子向け」と「女の子向け」でコミックの置き場が分かれていて「女の子向け」のコーナーに男がいること自体がややまずい。本を手に取っているところを同じクラスの人間に目撃されたりしたらアウト。

なによりそれは自分のメンタリティの問題だった。フィクション作品における「恋愛」を消費することは、圧倒的に女の仕事であり、男がそれを読むことは「異常」以外のなにものでもない。そしてその「異常」という価値観を深く内面化するしかなかった。その時代に少女マンガを読んでいた男の人だったらだいたい記憶にあると思うが、自分の可視範囲に、自分と同じ趣味を持っている人間はだれもいなかった、というパターンが多いと思う。内面化もクソもねえんだわ。自分以外の全員がおまえ異常だって言ってる状況で、自分は異常じゃないって言い張るなら、それは狂人だし。

これを読んで、個体発生と系統発生というのを思い出す。この人にとって、「80年代初頭」というのは第二次性徴期に当たるのだろう。ライフ・ステージにおけるちょうど初潮を迎えたり、陰毛が生えてきたりするこの時期というのは急速に社会関係がホモソーシャル化する時期である*2。言いたいのは、個体発生と系統発生、或いは発達心理学的なライフ・ステージと或る社会史的段階とを取り違えているんじゃないかということだ。同時期、約10歳は年取っていた俺は、別に「少女マンガ」を「読む男はストレートに「変態」」なんて雰囲気は感じていなかった(とはいっても、漫画自体あまり読まなかったけれど)。「フィクション作品における「恋愛」を消費することは、圧倒的に女の仕事であり、男がそれを読むことは「異常」以外のなにものでもない」っていうけど、ポップ・ミュージックというのは、アイドル歌謡にしてもフォークにしてもロックにしても、大概はラヴ・ソングであって、ポップ・ミュージックを愛好するということは「フィクション作品における「恋愛」を消費すること」ではないのか。
さて、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110710/1310272673に対して、

nessko
新人類にも人気があったんだ! 遠藤みちろうとの対談は読んだ記憶がある。そのせいかみちろうは世代がもっと上かと思ってた…。 おませな新人類が背伸びして覚えた人気文化人をそのまま追っかけてたんだろうか? 2011/07/10
http://b.hatena.ne.jp/nessko/20110710#bookmark-50359462
遠藤みちろう自身は1950年生まれなので、一応全共闘世代に属すんじゃないでしょうか。山形大学なので、どの党派の近くにいたのかということは、わかる人はすぐわかると思いますけど。ただ、みちろうにしても坂本龍一にせよ、そのファンの年齢層のコアは「新人類」世代だったわけですが。まあ、何故吉本隆明が「新人類にも人気があった」のかというのは依然としてよくわからないのですが。「おませな新人類が背伸びして覚えた人気文化人をそのまま追っかけてたんだろうか?」どうでしょうかね。「背伸び」するんだったら、(例えば)蓮實重彦が聳えていたりしたわけで。また、高偏差値の人だったら英語や仏語でデリダドゥルーズを読んでいたわけですし。これもよくわからないということで。