妙見

Via http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110518/1305648421

平野貞夫*1「日本の政治の原点 (7)」http://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/web/koso7/koso7_column_tosa2_47.html


この平野という人は所謂〈小沢信者〉の顧問的存在といえるのだろうけど、以下のように言っている;


平将門が関東の民のために起した「承平・天慶の乱」(将門の乱)の背後には、妙見信仰に生きる民がいた。将門も妙見菩薩を信仰しており、平安の地方分権の改革であった。将門の改革運動は失敗し、妙見を信仰する民も散り散りとなる。その後、240年後源頼朝による鎌倉幕府が成立する。

この鎌倉幕府の成立は、将門一族の後裔にあたる千葉常胤ら千葉一族の貢献なくしてはありえなかった。千葉一族は妙見信仰で、それが鎌倉封建制度という歴史をつくった。幕府制度の再生を行ったのは徳川家康であった。家康も妙見菩薩を信仰していた。

この徳川体制も約300年近くの歳月を経て、腐敗した幕政が坂本龍馬という妙見信仰の星によって大政奉還させられることになる。妙見菩薩は権力にしがみつく人間達よりも、清い国家をつくろうとする人間に力を与える。1月16日のNHK大河ドラマで、岩崎弥太郎の出生地安芸市妙見山と星神社が紹介されていた。弥太郎だけでなく龍馬も北斗の妙見信仰の中で、育ったことはあまり知られていない。わが国での権力の移行は、妙見菩薩を信仰する人たちによって行われていると、私は考えている。

そして、「小沢一郎が妙見信仰の精神的DNAで生かされてきたことを知る人は少ない」、「自民党という腐敗官僚に支えられた日本政治を改めるため、妙見菩薩小沢一郎に力を与えたといえる」とも。
小沢一郎ってそんな信仰をしていたのかなと思って、妙見信仰+小沢一郎Googleをかけてみたのだが、出てくるのは平野貞夫関係のみ。小沢一郎の故郷である岩手県水沢を取材した世川行介という人のレポートによれば、小沢家の宗旨はどうやら時宗らしいのだが*2。平野は妙見信仰について、『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』と『坂本龍馬と謎の北極星信仰』という2冊の本を上梓しているようなので、そちらの方には小沢一郎と妙見信仰についての言及があるのか。『坂本龍馬と謎の北極星信仰』では、あの神田お玉ヶ池の千葉道場が実は「秘密結社」だったという話をしているらしいのだが、その共著者である千葉吉胤妙星という人が主宰するらしい「月辰妙見会」という団体*3は宗教団体なのか武道団体なのかよくわからない。「月辰妙見会」は『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』出版記念シンポジウムも開催している*4
徳川家康についてだが、これについては、群馬県大間々の天台宗「恵明山正教院覚成寺」*5のサイトに、

当寺安置の日本唯一の徳川家康公御守本尊北辰妙見大菩薩とは、今より三百五十年程前、家康公臨終の砌(みぎり)、側近である最高顧問の天海大僧正本多正純・春日の局を招き、余亡き後は三代将軍は孫の竹千代を家光と定めること。そして吾が遺骨は久能山に葬(ほうむ)り、分骨を日光山に東照権現として祭る様に遺言されたのであります。

そこで天海大僧正思うに、大阪冬の陣および夏の陣の戦後間もないこの時、豊臣方の残党諸国に潜伏し、機会あらば、徳川の天下を覆(くつがえ)さんと欲するおそれあることを察知するとともに、身の危険を考え、乞食僧に身を窶(やつ)して日光本街道を避け、裏街道(江戸・川越・妻沼を経て当寺門前の道)を進み来られ、やがて、当寺門前にさしかかり、近くにあった石を座所として一時の休息をとられました。それが寺宝の「天海大僧正御座石」です。そして、日も暮れかかった為、一夜の泊まりを当寺に願い出たのであります。

時に当寺住職思うに、人挌・風格・風来、唯の乞食僧にあらずと識(し)り、山海の珍味をもって接待申し上げし処、天海大僧正いたく感激せられ身の素性を打開けられ、遺骨と共に奉持(ほうじ)せる家康公御守本尊を寺宝にと下賜(かし)されました。

これが当寺に安置されている「日本唯一の北辰妙見大菩薩」の由来であります。このような由来をもつ北辰妙見大菩薩とは、北斗七星を御身体として祭り暗蕗行く旅人の星明かりとなる菩薩さまです。
http://kakujyouji.com/hokushin.html

という記述あり。
さて、妙見信仰についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091112/1257962736でも採り上げている。また、ここで記したように、私は平野が言及している千葉一族の末裔であるということも申し述べておく。