もう死なない

PETER BAKER, HELENE COOPER and MARK MAZZETTI “Bin Laden Is Dead, Obama Says” http://www.nytimes.com/2011/05/02/world/asia/osama-bin-laden-is-killed.html


オサマ・ビン・ラディンパキスタン領内で米軍とCIAに殺害されたという。米国人はカタルシスを得ているようだが、まあそれだけだろう。そもそも酒井啓子さんの表現によれば、ビン・ラディンは〈司令官〉というよりは〈国際テロリスト学校の校長先生〉という感じだったわけで、これまでもテロをしたい奴は勝手にやってきたわけだし、これからもやりたい奴はやるだろう。アル・カイーダというのはフレクシブルで不定形なネットワークである*1。さらに悪いこと。ビン・ラディンが殺されたということは彼はもう死ぬことはないということだ。殺されたことによって〈殉教者〉としてその名前が刻まれてしまった。或る意味で、殺されることによって永遠の生を獲得してしまったのではないか。これ以後、イスラーム世界を中心に、何かある度に、とりわけ反米の機運が高まる度に、オサマ・ビン・ラディンの名前とイメージが反復されることになるのではないか。米国が放置しておけば、名前が忘れ去られたままパキスタンの片隅でひっそりと息を引き取る可能性だってあったわけだ。
さて、ビン・ラディンは海に水葬されたという。火葬でも水葬でもなく水葬というのがイスラームにおいてどのような意味を持つのかは知らない。〈ビン・ラディンは生きている〉主義者の登場の可能性というのも考えたのだが、彼はスンニー派なので、それはありえないだろう。シーア派、特に十二イマーム派はこの世からお隠れになった第12代教主イマーム・マフディーの復活を待望することを教義のベースに据えている*2。また、10世紀にシーア派のファティマ朝にハキムというカリフがいたが、その残酷さから「ムスリムカリギュラ或いはネロ」とも評されている(Zachary Karabell People of the Book*3, p.88)。彼は僅かなお供だけで宮殿を抜け出して街をぶらぶらすることを趣味としていたが、或る夜驢馬に乗ってカイロの街中をぶらぶらしながら姿を消してしまった。その後、ハキムは死んだ(暗殺された)のではなくお隠れになっただけであり復活を待っているのだと考える一派が出現した。現在レバノン、シリア、パレスティナの山間部に残っているドゥルーズ派(the Druze)はその系譜を引くものである(p.89)*4スンニー派では指導者や聖者の復活を待望するということがないので、〈ビン・ラディンは生きている〉主義のセクトが登場するということはないだろう。

People of the Book

People of the Book

オサマは死んだけれど日本にはオザワがいるぜと書こうと思ったが、後が怖いので止めた。