某マルクス主義者を思い出したり

浦松丈二「「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ」http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110420dde012040004000c.html


戦後日本の原子力政策の出発における正力松太郎中曽根康弘の役割。また、CIAの思惑。さらに、1970年代における田中角栄による原子力政策の新展開。


原子力政策の専門家で、97〜09年に原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長の吉岡斉教授(科学史)は「政治は自民党一党で安定し、通産省(現経済産業省)も原発を継続する強い意志を持っていた。2度の大事故の影響は日本では限られていました。世界の情勢に逆行して日本で原発が拡大した背景には、政治と行政の特殊な構造があった」と話す。

 ところが、90年代初めのバブル崩壊以降の電力需要の低迷で、原発建設はスローダウンしていく。さらに90年代半ばに発電事業者の新規参入を認めた電力自由化で、原発は岐路にさしかかる。

 「通産省内でも『補助金漬けの原発は財政的に問題で電力自由化に逆行する』『特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。05年ごろまでに再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば原発は成り立たない。電力会社も本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです」

吉岡斉氏というか、吉岡氏の(原発建設は)「あたかも完璧な社会主義計画経済におけるノルマ達成のごとく、続けられてきた」という議論を援用する米本昌平氏は、佐々木力「脱原子力への道と現代日本の技術政策」(in 『科学技術と現代政治』、p.137ff.)でかなりdisられているが、佐々木氏は今回の事故についてどういう発言をしているのか。
科学技術と現代政治 (ちくま新書)

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ところで、上の『毎日』の記事には、正力松太郎湯川秀樹とテーブルを囲む有沢広巳の写真が添えられている。有沢広巳は大内兵衛門下のマルクス経済学者で、戦後の傾斜生産方式を立案し、後には原子力委員会委員長代理にもなっている。ただ、彼が原子力政策において具体的にどういう役割を果たしたのかは知らない*1
「市場原理に基づけば原発は成り立たない」。原発のコストに関して、


原子力のコスト、簡潔に」http://www.mojimoji.org/blog/0476


をマークしておく。

*1:戦後日本の「社会主義」性についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091031/1256930849でだべっている。