アショーカ王の子孫(メモ)

王明珂『英雄祖先與弟兄民族 根基歴史的文本與情境』*1では、「弟兄祖先歴史心性」と「英雄祖先歴史心性」という2つのタイプの「歴史心性」*2が対比されている(See eg. pp.29-30)。「英雄祖先歴史心性」は或る英雄的な先祖の子孫として民族や国家の歴史を想像する心性。例えば、黄帝の子孫としての中国人(漢族)。或いは、檀君の子孫としての朝鮮人*3。それに対して、「弟兄祖先歴史心性」は氏族間或いは民族間の関係を対等な兄弟関係として想像する心性。
「弟兄祖先歴史心性」の例として、明朝万暦年間に昆明人、倪輅によって書かれた『南詔野史』の一節;


雲南古荒服。《白古記》:三白王之後、西天摩竭国阿育王第三子膘苴低娶次蒙虧為妻、生低蒙苴。苴生九子、名九龍氏。長子阿輔羅、即十六国之祖。次子蒙苴兼、即土蕃国之祖。三子蒙苴諾、即漢人之祖。四子蒙苴受、即東蛮之祖。五子蒙苴篤生十三子、五賢七聖、蒙氏之祖。六子蒙苴托、居獅子之国。七子蒙苴林、即交趾国之祖。八子蒙苴頌、白崖張楽進求之祖。九子蒙苴閼、白夷之祖。(p.135に引用)
南詔野史』については、


方国瑜『南詔野史・概説』雲南人民出版社、1998
木芹『南詔野史会証』雲南人民出版社、1990


『白古記』。『白古通』とも呼ばれる。『白古記』(『白古通』)は宋元時代に「白文」*4で書かれたとされる書物。明清時代に雲南省大理周辺で書かれた書の多くは『白古記』(『白古通』)を引用している。聖元寺の寂裕という僧侶が漢文に翻訳したとされる。現在は伝わっていない(p.130)。
上に引用したパッセージでは、雲南周辺の諸民族の関係が古代印度のアショーカ王の曾孫である九人兄弟(「九龍氏」)として再構成されている。長男は「十六国」つまり印度の祖、次男は「土蕃国」(吐蕃)つまりチベットの祖、三男は「漢人」の祖。四男が「東蛮之祖」というのは不明*5。五男は「蒙氏」つまり「南詔」王家の祖*6。六男の「獅子之国」というのはセイロン(スリランカ)か。七男は「交趾国」つまりヴェトナムの祖。八男の「白崖張楽進求之祖」だが、これはちょっと複雑。司馬遷史記』(「西南夷列伝」)によれば、楚の威王の時代に荘蹻という将軍が現在の貴州・雲南を征服した。また、『後漢書』(「南蛮西南夷列伝」)によれば、楚の頃襄王に荘豪という将軍が夜郎を征服し、滇池の周辺に土着し、その子孫は「滇王」となった(pp.80-81)。元代に張道宗によって書かれた『紀古滇説原集』という書*7は、荘蹻は「白崖」という土地に移住し、後に張仁果という男が新たな「滇王」に推挙され、張仁果は「白崖」出身だったので国号を「白」と改めたが、唐代に至り張仁果の33代目の子孫である「張楽進求」が「蒙氏」に王位を禅譲したという伝承を載せている(pp.132-133)。「白」つまり白族の祖ということになる。九男は「白夷」つまり「擺夷」の祖。つまりタイ系諸民族の祖ということになる。
ところで、雲南の隣りの貴州の夜郎の王家に関しては、『後漢書』がその祖は川を流れてきた竹の中から生まれた子ども故に「竹」という姓を名乗るという話を記載している(pp.121-122)。何だか〈桃太郎〉と〈かぐや姫〉を合わせたような話だが、これについて伊藤清司かぐや姫の誕生』でどう述べられていたのかは忘れた。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090814/1250216310

*2:「歴史心性」=「人們由社会生活中得到的、一種有関歴史、時間與社会構成的文化概念」(p.28)。王氏はFrederick Bartlett Remembering: A Study in Experimental and Social Psychology Cambridge University Press, 1932を参照している。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110222/1298318682

*4:現在の白族の言語?

*5:「東謝蛮」。唐代に現在の貴州省東北部に居住していた民族。See eg. http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicB8Zdic9C131995.htm http://baike.baidu.com/view/942710.htm

*6:See p.125

*7:正中書局(台北)、1981