「真正性」を巡ってメモ

「真正性」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070508/1178602180 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070807/1186490802 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081209/1228839200 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081224/1230144140 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090224/1235449886 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090308/1236521261 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100925/1285447119も参照のこと。
大友良英さん*1のエントリーを読む。すごく共感する;


16日から2週間ほど予定されていた「We don't care about music」というフランス映画の発表記念して、この映画に出てる何人かの日本のミュージシャンが参加して行われる欧州ツアーに行くことを先ほどキャンセルしました。ほかのメンバーがどうするかはわかりませんが、それぞれが自分の考えで決めようということで、どういう決断であれそれぞれの考えを尊重しようと思ってます。


行こうかどうしようか、地震のあと今日までずっと悩みました。でもいくら自分に聞いてみても、自分の答えは、今は日本を出たくない・・・でした。

理由はいくつか言う事は出来ますが、でも正直どれも合理的なものではない気がしてます。とても個人的な感情だと思います。ひとつはっきり言えるのは、今の状況だけでなく、これから起こることを自分の住んでる街で自分の目でしっかり見て体験しておくべきなんじゃないかという感情です。大げさな言い方はしたくないけど、ここでみなと運命をともにしたいという感情です。今までこんな感情は持ったことがありませんでした。だからその感情に自分でも驚いてます。多分ここでいうみなというのは、顔の見えない日本人といったような巨大な集合のことではなくて、それより自分の大好きな人たち、たとえば恋人とか友人とか肉親とか、バンド仲間や仕事仲間や、福島の旧友や音遊びの会のひとたちとか、水戸や山口や仙台や東京、京都の展示を一緒に作った友人たちとか、くされ縁のむかつく悪友から近所の苗字もしならいよく行くパン屋さんとか、たまたま電車がないとき帰りが一緒になった良く知らないけどなんとなく話があった人とかだったり、あるいは大好きな場所、PITINNとかスーパーデラックスとか、よく使うスタジオとか喫茶店とか、歩きなれた道とか、今見えてる月とか、そういうかなり漠然としたものだと自分では理解してます。もちろん、先方とそんな団結の約束を結んでるわけじゃないので、あくまでもわたしの中のきわめて個人的な勝手な普段は出てくることもない感情です。
http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20110315

こういうのを〈愛国心〉などとは呼ばせたくないのだが、私たちの人やモノや場所への繋がり(私たちがそのようなものと常に/既に繋がってしまっているという仕方で存在しているということ)の基本にこのような「感情」があるということはたしかなことであろう。
悲惨な報道が続く中で、以下のニュースはslap happyであるとはいえる。『日経』の記事に曰く、

南三陸町で9700人の避難を確認 宮城県
2011/3/15 11:56


 宮城県によると、人口約1万7000人のうち約1万人と連絡が取れなくなっていた同県南三陸町で、15日午前までに9700人が避難していることを確認した。なお約7000人と連絡が取れていないという。同町ではこれまでに約1000人の遺体が見つかっている。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819490E3E7E2E3E28DE3E7E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2?n_cid=TW001