40日間

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』*1を読了して、ターハル・ベン=ジェルーン*2『砂の子ども』を読み始める。
第1章の「男」から;


「いったいその男は何者なんだね」
気まずさからか、期待からか、沈黙があり、それから、だれかがそうたずねた。講釈師は、ござの上にあぐらをかいて座り、手提げ鞄から大きなノートを出して、集まった聴衆に見せた。
秘密はここにある。このページの中に、言葉とイメージによって織りなされているのだ。その男は今わの際に、おれにこのノートを渡して、自分が死んでから四十日のあいだは開けないでほしいと言った。それは、彼が完全に死ぬまでの時間だ。われわれにとっては四十日間の喪、彼にとっては大地の闇への旅だ。おれは、四十一日目の夜にノートを開いた。そして天国の香りに包まれた。その香りがあまりに強いので、息が詰まりそうになったほどだ。最初の一行を読んだが、何もわからなかった。二つ目の段落を読んだが、やはり何もわからなかった。一ページを読み終わったとき、すべてが明らかになった。驚愕の涙が、頬をつたって流れた。手は汗ばみ、血はいつものように流れなくなった。そのとき、俺は世にも稀な本を手にしたことを知ったのだ。この秘密の本は、短いが熾烈な人生を送った人間が、長い試練の夜を経て書いたものであり、岩の下に隠され、呪いの天使によって守られていたものなのだ。友よ、このノートは、回し読みしたり、人に与えることはできない。純粋な精神の持ち主だけが、読めるのだ。心構えのできていない者が、不用意に読めば、ここから発する光で目がくらんでしまう。おれはこれを読んだ。そして、そういう人々のために、読み解いたのだ。皆さんは、おれの夜と肉体を通じてでなければ、これに近づくことはできない。おれが、この本なのだ。おれは秘密の本と一体となり、これを読むために、命を差し出した。何カ月も眠れぬ夜を過ごし、最後まできたとき、この本が体内に宿ったことを感じた。それが、おれの運命なのだ。皆さんにこの物語を語るとき、おれはノートを開けさえしない。話の筋は空で覚えているが、慎重を期すためでもある。ああ、皆さん、やがて陽は闇の中に落ちるだろう。そして、おれはこの本とともに、一人になる。皆さんも一人になるが、早く知りたくて落ち着かないだろう。皆さんの目には、病んだ情熱が流れている。それを取り去ることだ。心を静めてくれ。いっしょに疑問のトンネルを掘り進もう。そして、おれの言葉ではなく――それは虚しいものだ――、一つの歌が聞こえるのを待ってほしい。その歌は、海からしだいに上がってきて、皆さんをこの物語に至る道へと導き、時と時が壊したものに耳を傾けさせるだろう。そしてまた、この物語には、壁をくり抜いた七つの門があることを知ってほしい。その壁は、幅が二メートルはあり、高さは、背の高い屈強な男三人分はあるだろう。皆さんには、おいおい、これらの門を開ける鍵を差し上げよう。実のところ、皆さんはすでにこの鍵を持っているが、それに気づかないのだ。たとえ気づいたとしても、開け方がわからない。どの墓石の下に、それを埋めるのかということになれば、なおさらわからないだろう。
今日のところは、これで十分だろう。空が燃え立つ前に、帰るがよろしい。ともあれ、この秘密の本に関心があれば、明日またいらっしゃい。(pp.9-11)
(モロッコの)イスラームにおける死後40日の意味。仏教では49日だけど。また、「壁をくり抜いた七つの門」――この小説には「木曜の門」(第2章)、「金曜の門」(第3章)、「土曜の門」(第4章)、「バーブ・アル・ハッドゥ 〈日曜の門〉」(第5章)、「忘れられた門」(第6章)、「封じられた門」(第7章)、「砂漠の門」(第19章=最終章)という章がある。
砂の子ども

砂の子ども