表紙は誰が描いたのか

最近石原慎太郎の(Amazonのカタログにも載っていない)『スパルタ教育』という本が話題になっているようだ。山本弘氏のエントリーにその書影が載っている*1。この「非実在青少年」のヌードは誰が描いたのだろうか。やはりそこで紹介されている挿絵はどことなく宇野亜喜良*2っぽいのだが。http://b.hatena.ne.jp/hisamichi/20101209#bookmark-27133646http://www.tante2.com/kohon-kairaku-shibusawa.htmlがリンクしてあって、そこには俺が文春文庫版を買った澁澤龍彦『快楽主義の哲学』*3の初版(カッパ・ブックス)の書影が載っている。これは俺にとっては初めて見るもの。カヴァーの線の細かさが特徴的なイラストレーションは勿論宇野亜喜良のものだ。因みに、文春文庫版ではカットされている三島由紀夫の推薦文も読める。また、この頁には「まえがき」が書き写されているのだが、ミスタイプが酷いので、まだ容易に入手可能な筈の文春文庫版を参照することをお薦めする。

快楽主義の哲学 (文春文庫)

快楽主義の哲学 (文春文庫)

『スパルタ教育』に戻り、山本さんのエントリーから孫引きしてみる;

想像力というものは、現実にないものを考える力であって、そうした作業が、いったい現実にどんなささやかなものを触媒として行なわれるかは、だれにも想像がつかない。であるがゆえに、人間の想像力を培う糧である読書を、なにをもってよしとし、なにをもって悪とするかほど、根拠のないものはない。そのよしあしに、親が陳腐で通俗的な道徳をもちこむほど、子どもの大きな将来性をスポイルすることはない。

子どもの不良性を、親がけしかけて育てる必要はないが、しかし、単にそれらを既成の道徳を踏まえて恐れ、根元からその芽をつみ取ることは、子どもだけではなく、人間の社会における大きな可能性を、愚かに殺すことでしかない。
これとか、数十年後の石原慎太郎はどう批評するのだろうか。これはもしかして、石原慎太郎の〈全集〉が出ていないことと関係するのか。
『スパルタ教育』ということで思い出したのだが、俺はこの本を中学1年の時に近所の駅前の本屋で全篇立ち読みしたのだった。その本屋も20数年前に閉店して、今その場所はミスドになっている。