「集団記憶喪失」、しかし

承前*1

田口洋美「東北の山々とマタギの界隈」(2006)*2の中で、山村で薇や蕨などの「山菜」をさかんに採集するようになったのは大正時代以降であるという話が出てくる。また、茸を本格的に食べるようになったのは第二次世界大戦後であるという話も。それに関連した質疑応答の中で、「集団記憶喪失」ということが言われている。田口氏は静岡県小山町のことを例に出している;


 その町は富士紡績という今はD.V.D.で知られた繊維メーカーの最初の工場ができたところなんですが、そこに行って聞き取りをしても、どうしても、その会社ができたというところから前にいけないんです。富士紡績ができる、はるか前に生まれて成人を迎えた人でも、その前のことがわからない。僕の田舎は茨城県東海村ですが、同じようなことが起こっています。原発以前が見えません。つまり、社会的にインパクトの強いものがドンとやってくると、その地域の人たちの記憶が、その前の段階の記憶を飛ばす可能性がある。地域ぐるみで記憶喪失になるということがあるんですね。ですから人間の集団というのはおもしろいものだと思いますね。
これはとても興味深いのだが、私は別のことを思い出してしまった。
大和国というか現在の奈良県奈良盆地は巨大な湖だったという説がある。その真偽はわからないのだが、記紀でも古い伝承に登場する場所は吉野を初めとする山間部である。カムヤマトイワレヒコ(神武)*3が即位したことになっている橿原はちょうど平野部と山間部の境界に位置する。その説によれば、徐々に水が引いて、現在の奈良県の中心部が開けてくることになる。勿論水浸しだった頃の社会的記憶(伝承)はない。ところで、天理教聖典に『泥海古記』というのがある*4。原初の世界は「泥海」であり、そこで人間を含む様々な生物が創造されるという物語。奈良盆地が水浸しだったということは文献にも記されておらず、口頭でも伝承されておらず、少なくとも表面的には完全に忘却されている。しかし、細々とそれを密かに語り継ぐ人がいて、それを素材にしつつ中山みきはあのような〈神話〉を語ったのではないか。天理はやはり奈良盆地の縁、平野部と山間部の境界である。勿論、これは20年前以上前に考えた無根拠な妄想ではあるが。