次はアレントを読め

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20101120/1290213752
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20101120/p1


仙谷由人官房長官*1自衛隊のことを「暴力装置」と言ったことが波紋を呼び、訂正したり陳謝したりということがあったという。これを聞いて、その昔日本共産党が突然〈プロレタリアート独裁〉は人聞きが悪いというので〈独裁〉を〈執権〉に改めたということを思い出した。そのときは、鎌倉幕府かよと思ったのだが。民主党はどう言い換えるべきか、頭を下げて共産党に教えを請うべきだろう。
さて、自衛隊が「暴力装置」だというのは当たり前の話であって、これに関しては、今回濱口桂一郎*2池田信夫*3もともに(仲良く?)妥当な見解を示している*4
さて、今話題になっているのは、レオン・トロツキーを援用したマックス・ウェーバー『職業としての政治』*5の一節であるらしいけど、この際だからみんなもっと勉強しろよ! ということで、以下課題図書を挙げてみる。次にはレーニンの『国家と革命』を読めということになるのだろう。それから、ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーの『政治と犯罪』も。政治と暴力が不可分であるというウェーバーの洞察は事実認識としては正しい。しかし、それを経験的領域を超えて適用すること、或いは規範理論に持ち込んでしまうことは断乎として拒否しなければならない。つまり、規範的な思考においては、あくまでも暴力との結ぼれを切断した政治の可能性を考え抜かなければならない。これはちょっと大袈裟な物言いだが、もう少し抑えて言えば、政治を暴力に還元すること、或いはこの2つを同一視してしまうことを拒絶しなければならない。そうすると、ハンナ・アレントの登場ということになる。「権力(power)」と「暴力(violence)」は違うぞということで、ここでは『人間の条件』、『革命について』、「暴力について」を挙げておく。特に「暴力について」。この論攷の中心的な動機のひとつは、右翼も左翼も権力と暴力を仲良く同一視してしまっているというハンナおばさんの驚きである。また、真に革命的な状況においては、軍隊や警察などの「暴力装置」は「装置」として機能することはできない。そこでは、権力が空洞化しており、軍が政府の命令に服従し、部下が上官の命令に服従するということが成立しない。これは1989年の東ヨーロッパで起こったことである。或いは、奴隷制度が長く続いたというのは、勿論奴隷所有者たちの暴力的な抑圧ということはあったけれど、それよりも根本的な問題は、奴隷たちが社会的に分断されてしまって、お互いに連帯して自らの権力を構成することができなかったということである。因みに、「暴力装置」という言葉とマルクス主義との関係が話題になっているようだが、アレントによれば、狭い意味での「暴力」に拘るのは「非マルクス的(non-Marxian)である;


To be sure, Marx was aware of the role of violence in history, but this role was to him secondary: not violence but the contradictions inherent in the old society brought about its end. The emergence of a new society was preceded, but not caused, by violent outbreaks, which he likened to the labor pangs that precede, but of course do not cause, the event of organic birth. In the same vein he regarded the state as an instrument of violence in the command of the ruling class; but actual power in the command of the ruling class did not consist of violence. It was defined by the role the ruling class played in society, or, more exactly, by its role in the process of production. (p.113)
陣痛は出産に先立つものではあるが、陣痛が出産の原因であるわけではないということ*6「暴力について」は、ほかにも「暴力」とテクノロジーとの関係とかサルトル批判とか、興味深い論点を沢山含んでいる。
職業としての政治 (岩波文庫)

職業としての政治 (岩波文庫)

国家と革命 (岩波文庫 白 134-2)

国家と革命 (岩波文庫 白 134-2)

政治と犯罪―国家犯罪をめぐる八つの試論 (1966年)

政治と犯罪―国家犯罪をめぐる八つの試論 (1966年)

The Human Condition

The Human Condition

On Revolution (Classic, 20th-Century, Penguin)

On Revolution (Classic, 20th-Century, Penguin)

Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

Crises of the Republic: Lying in Politics; Civil Disobedience; On Violence; Thoughts on Politics and Revolution

ウェーバーに戻ると、ウェーバーの政治論としては、『支配の諸類型』は読んでほしいよねとは思う。そもそも剥き出しの「暴力」のみによる「支配」では社会がもたないわけだし、実際にも(終わりに近づいた独裁政権以外では)そのような「支配」は行われていない。そこで、「カリスマ」とか「法」とかが呼び出されることになる。
支配の諸類型 (経済と社会)

支配の諸類型 (経済と社会)

ところで、「マックスウェーバーマルクス主義者なのは常識」とか「自衛隊出身で軍事の専門家である佐藤参院議員*7が/暴力装置という概念を作ったマックスウェーバーマルクス主義であることを証明している」*8というのには吃驚。大物の右翼思想家であった小室直樹*9がもう少し長生きしていたら、どう思っただろうね。とにかく、ルーマンフランクフルト学派にしてしまった筑波大学の先生以来の快挙だ*10

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100802/1280726806 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091120/1258746079

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080912/1221185467 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080913/1221319990 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090808/1249741839 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090809/1249795328 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090819/1250656927 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101107/1289106057 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101109/1289272966

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070128/1169989586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090108/1231386781 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090223/1235362566 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090619/1245441165 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091123/1258984734 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091126/1259201785 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261049929 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091218/1261105482 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100612/1276361557 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100621/1277100760

*4:http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-654e.html http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51501855.html

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061008/1160278843

*6:アレントの視点からすれば、しかしながらマルクスはより深いレヴェルにおいて(西洋哲学一般と同様に)「暴力」を肯定してしまっているということになる。これについては、やはり『人間の条件』を参照しなければならない。『人間の条件』全体を読むのがきついという人は、マーガレット・カノヴァンの「序文」だけでも読むこと。

*7:佐藤正久

*8:http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1290177035/ Cited in http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20101120/1290234544

*9:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101004/1286217034

*10:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061015/1160883587