「運動をちょっと」

承前*1

http://www.jobu.ac.jp/gakubu/visit_labo_manage09.html(Via http://d.hatena.ne.jp/taron/20101106#p12


松崎昇氏へのインタヴュー。
これによると、元々「マルクス経済学」、特に「宇野経済学」をやっていたという。筑波大学には降旗節雄という宇野経済学の先生がいたが、1983年に帝京大学に移っている(2009年没)。
「先生の学生時代はどうでしたか」という質問に対して、


 うーん、学部時代は運動をちょっと。大学院時代は勉強をさぼって山に行ってました。よく一人でフラフラさまよっていましたね。道に迷ってツェルト・ビバークしたり、ホワイトアウトにあせったり、(雪で)顔中日ぶくれしたり、凍傷したり、滑落したり…。今でも寒さが増してくると、右手3本の指先がうずき、感覚がなくなります。「インドヒマラヤに行くぞー」という会にも入っていたのですが、(30歳くらいだったか)修論を書かなければならないお年頃になって、やめざるをえなくなったのがちょっぴり心残りです。もっとも(沢登り同様)岩登りは苦手だったから、いても、所詮、メンバーには選ばれなかったと思いますが。なにしろ「蝶のように舞え!」「猫のように(岩場のポイントを)取れ!」などと言われてもねぇ…。こっちとら、こわくて、4点確保しちゃって、岩に張り付いちゃうもんね、やっぱ運動神経よくないと駄目だわさ、あれは。(ちなみにこの段落1行目の運動とは、学生運動の意味です、念のため)
 あとはテニスやスキーなどを若干かな。
学部がどこなのかわからないけれど、筑波大学だとしたら「学部時代」の「運動」というのは〈地下活動〉であった筈だ。
それから、将来の構想として、「国道の論理の究明(わが国の例外別格性を試示する作業)を踏まえ、最後に、ライフワークたる東洋発新代論を試考したいです」と語っている。『広辞苑』では、「国道」について、「国の営造物である道路」という意味しか載っていない。やはり「国の例外別格性」という意味を載せない『広辞苑』は(松崎にとっては)反日出版社(岩波書店)による反日辞書ということになるのか。
現代における〈転向=改宗(conversion)〉の一事例というべきなのだろうけど、このインタヴューからは、どこででんぐり返しが起こり、過去の〈生の物語(life history)〉のラディカルな書き換えが行われたのかが見えてこない。