山田昌弘『希望格差社会』

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100917/1284736710でもちょこっと言及していたのだが、山田昌弘希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』を先日読了。


はしがき――先が見えない時代に


1 不安定化する社会の中で
2 リスク化する日本社会――現代のリスクの特徴
3 二極化する日本社会――引き裂かれる社会
4 戦後安定社会の構造――安心社会の形成と条件
5 職業の不安定化――ニューエコノミーのもたらすもの
6 家族の不安定化――ライフコースが予測不可能となる
7 教育の不安定化――パイプラインの機能不全
8 希望の喪失――リスクからの逃走
9 いま何ができるのか、すべきなのか


文献目録
あとがき

解題にかえて――文庫版あとがき

ベックなどのリスク社会論(例えば『危険社会』)の応用篇という趣き。伝統的に、或いは相対的に長い間リスクをヘッジしていた社会的仕掛け(企業、家族、教育)が逆にリスク源となっているということが重要だろう。
危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

眠くなってきたこともあり、最終章の「いま何ができるのか、すべきなのか」から本書の主張を要約しているといえる箇所を抜書きしておく;

(前略)日本社会は、リスク化、二極化のうねりの中にいる。そして、一九九〇年ごろまで存在していた「安心社会」の基盤が崩れつつある。
ニューエコノミーの進展により、職業は不安定なものとなり、新しい経済システムに適応できる能力のある人と、落ちこぼれてフリーター化する人の格差が広がっている。相対的に安定していた家族もリスクを伴ったものとなり、安心して依存できるものではなくなっている。学校教育のパイプライン・システムに漏れが生じ、「努力して学校に行きさえすれば、一定の職に就ける」という期待が急速に失われている。
社会、とりわけ、職業、家族、教育システムが不安定化することは、つまりは、われわれの生活が不安定化して、将来設計図が描けなくなるということである。たとえ、描いたとしても、実現する確率が低くなっている。不安定化する社会に直面して、努力しても仕方がないと希望を失う若者は、あるものは引きこもり、あるものは享楽的消費やアディクションにふけり、あるものはやけになって問題行動を引き起こす。リスクから逃げ出す若者が増え、パラサイト・シングルやフリーターの将来の不良債権化が見込まれ、将来、日本社会の存立基盤を徐々に蝕んでいくことになる。(pp.258-259)
ちなみに、「安心社会」は山岸俊男の用語(『安心社会から信頼社会へ』)*1。また、

(前略)ニューエコノミーの「負け組」とは、単に生活ができなくて、住居がなくなったり飢えに苦しむ人ではない。「生活に希望がもてなくなっている人」である。相対的に豊かな社会では、人間はパンのみで生きているわけではない。希望でもって生きるのである。ニューエコノミーが生み出す格差は、希望の格差なのである。一部の人は、努力がオールドエコノミーの時代以上に報われるが、その反対側では、努力が報われないと感じる人を産むのである。ニューエコノミーが、平凡な能力の持ち主から奪っているのは、「希望」なのである。
セーフティネットをいうなら、経済的セーフティネットだけではなく、心理的セーフティネットをこそ構築すべきなのである。(p.266)
安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

この本が最初に刊行されてから既に5年以上経っている。山田氏が予測的に述べていることには、(その後の状況に照らして)アレなものも的確なものもある。後者の例としては、家族のリスク化の一端としての低所得者の家庭における児童虐待増加への危惧があるか。