新しいTV

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080605/p2


既に2008年の記事ではあるが、偶々目にしたので。また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100906/1283806461で言及した東浩紀の授業における「カンニング」告白(?)騒動*1でも、学生のネット・リテラシー云々という話も出ていたこともあるし。
この方が自分が卒業した大学のゼミの後輩を観察した結果によれば、


正直言って、ブログを書いてる学生は少ないです。ブログは人が書くものであって、自分はそれを読む側である。面白いブログを読めればいいというのが一般的なようです。

そういう状態なんで、Twitterともなると絶望的。マニアの世界。実際「Twitterやってる?」と聞いても反応なし。「……なんですか、それ」みたいな反応が中心。うちの後輩だけじゃなくて、他大学でもそうだった。いいとこ10人に1人くらいですかね、知ってるのは。

ま、これは一般的に知られつつありますが、mixiはパソコン上から使うものではなく、携帯電話から使うものってのが主流ですな。通学途中とか、だるい講義中に使うもの。ヒマな時間に、空いた時間にちょちょいと使うもの。

なので、彼らの情報源はmixiニュースだったりする。mixiから貼ってある情報にはスゲエ詳しい。情報源は新聞・テレビよりもmixiというのが今どきの現実。

さらに、RSSリーダーや(はてブのような)ソーシャル・ブックマークを使っている人間も少ないと。今だったら、Twitter知名度はもうちょっとは上がっている気がする。具体的な学部とか大学の学力的なレイティングがわからないということはあるのだけれど、大体そんなもんじゃないでしょうかねと妙に納得してしまった。以前(何時だったかは忘れたけれど)、blogを書く日本人が200万人か300万人に達したと報じられていた。300万人って、数字だけ見れば凄いということになるのかも知れないけれど、日本の総人口に占める比率ということで言えば、微々たるものだ。ここから言えば、blogを書く大学生が少ないというのは当たり前といえば当たり前。もし、書いている割合というのが日本人一般よりも高ければ、やっぱり腐っても大学生だよねと褒めてあげるべきなのだ。既に2007年に20代のコンピュータ・リテラシーの低下が問題となっていた*2。曰く、「ネットにも「下流社会」が出現した」。
また、

彼らは使うサービスは「ただ使えるもの」が中心。YouTubeでありニコニコ動画であり2ちゃんねる。ダラダラ見れる。それでいてバリエーションが豊富だから飽きない。手軽だ。こういうROMできるサービスがいいわけですよ。必ずしも自分から発信する必要性を感じていないので、読めれば・見れれば・聞ければいいわけです。それで無問題。受け身のサービスでいいわけです。能動的なサービスである必要がない。
この記述の仕方、インターネット以前から、何十年も前からお馴染みのものである。そう、TV。つまり、インターネットはTVとして機能しているわけだ。インタラクティヴやオン・ディマンドの要素もちょっぴり加えて。或いは、文化としてのTVは「ネット文化」をちゃっかり乗っ取ってしまったということになる。

さて、このblog以前の俺のネット上での言動を知っている某マイミクさんが日記で、俺ともう一人の人に言及して、「同じテンション」「同じスタンス」を保っていると言っている。それで、このもう一人の人が「私が、同じテンションというか、モチベーションが維持できるのは、目的を持っているからですね」とリプライしているのだが、俺の場合、拙blogを綴ることに特別な「目的」があるわけではない。それによって愚民どもを啓蒙してやろうとか革命をしようとか思っているわけではないし。以前書いたように*3、「どんな知識も脳内で独占していても時の流れとともに劣化していくだけ」で、その「劣化」に抗するために知識の「独占を止めて、無理矢理他人にそれを共有させる」ということくらいしか考えていない。また、自分がむかついたこと、面白いと思ったこと、わからないと思ったこと等々が他人とシェアされれば嬉しいと思うし、逆にそうしたことどもが相対化されたとしてもそれはそれで面白いと思うのだ。