地蔵とよだれかけ

或る人から何故地蔵菩薩は赤いよだれかけをかけているのかと聞かれた。勿論子どもの供養のためということなのだが、浅く調べてみた。
何故よだれかけなのか。新潟県津南町の『広報つなん』(2001年12月号)に載った「お地蔵さまの「よだれかけ」」という記事。土地の老婆から聞いた話;


地蔵菩薩は、常に黄泉の国を歩いておられます。三途の川にも必ず立ち寄られます。母親はこの地蔵尊に万事を託すのです。地蔵菩薩は母親の願いを何でもこころよく引き受けてくださると信じて。

 しかし、地蔵菩薩が「あなたは一度も三途の川に行ったことはないでしょう。そこには大勢の子どもたちが遊んでいます。あなたのお子が、ほかの子どもと区別のできる特徴があれば教えてください」と問われました。母親は、愛しいわが子のことですから見分け方をくわしく話します。顔かたちや体の特徴や大きさ、ほくろの位置と傷跡までくわしく話しました。聞き終わって、地蔵菩薩がいわれました。[同じようなお子はたくさんいますよ」と。

 母親は困惑しました。子どものことを一番よく知っている自分が、事細かく話しましたのに見分けがつかないといわれるのです。母親は苦しみました。自分の話し方によって頑ぜない子を救ってもらえないかもしれません。その時、一番大切なものを思い出しました。それは、母親が乳を飲ます時や、おしめを取りかえる折りにもわが子の体臭をかいで、その臭いを覚えていることです。そこで、わが子の一番体臭のしみこんだ「よだれかけ」をお地蔵さまの首に奉納し、「この臭いがわが子なのです」と心を込めてお析りしました。お地蔵さまは、そのよだれかけを鼻にあてて、よくわかった」とうなずかれます。この臭いを頼りに、地蔵菩薩は三途の川原で迷う子どもたちの中から探し出し、よいところへと導いてくださると信じるのです。
http://tomonokai.jpn.org/right/top/bukai/isibotoke/h13/isibotoke_h13_12_55.html

視覚ではなくて嗅覚に関係していること。また、子どもの匂いの話は、次に引用する菅野秀浩師という真言宗の僧侶の叙述でも言及されている;

地蔵菩薩は三十五日忌の本尊である。

 地蔵菩薩は閻魔尊とも同体(本地垂迹説=仏が衆生救済に際し、先ず仮に神となって現れる事)で、 インドにおいては地蔵菩薩(本地=ほんじ)だが中国・日本では閻魔王垂迹=すいじゃく)として、鎌倉時代以後、 民間信仰に支えられて、きわめて異様(?)な、又畏敬を持って礼拝されて来た。

 五七日忌は、仏前仏後の中間であり、「閻魔法王の断罪の庭、新亡精霊昇沈の境なり」といわれ、新精霊が閻魔王の前に呼ばれ、 傍らの浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ=冥界の鏡)に一生涯が克明に映しだされ、その結果で天界(極楽)への入場券が支給されるのである。勿論、逆方向の場合もある。

 天界でないほうの券を支給されたものは、どうしたら良いのか?前言通りである。

 閻魔尊と地蔵尊は同じ仏であり、生死を繰り返す、迷いと苦しみの六道の全てに在って救済する役目が在ると言うことも述べた。

 地蔵尊の慈悲で全て救済されるのである。

 近年は、何故か五七忌は修されない。果たして無事極楽へ辿り着けるだろうか。

 又、親より先に亡くなる不幸で、子供は賽(さい)の河原をさ迷うといわれ、地蔵尊は河原に居て、子供を見つけては袈裟で隠し包み救い続ける。 だから親は、亡き我が子をいち早く地蔵尊に発見されるよう、生前身につけた(子供の匂いがついた)よだれ掛けや帽子を、地蔵尊に着せるのである。
http://www.jtvan.co.jp/howa/Sugano/houwa074.html

Lisa Kaplanという米国の学生が日本語で書いた「水子供養」というテクスト*1。何故「赤いよだれかけ」なのか。赤の意味論。

それから、http://www.kyo-ori.com/kawasima/yodarekake.htmは地蔵用のよだれかけを通信販売する頁。ところで、白いよだれかけの写真があるが、私は白いよだれかけをかけたお地蔵様を実際に見たことはない。