HMVとバイヤー

承前*1

HMV渋谷店が8月22日に閉店した。それを巡って、wondergroundというインディ・レーベル*2を運営している方が興味深いことを書いている。この方はネットでの「配信」とか「アマゾン」に負けたのではなく、21世紀に入っての「HMVの経営姿勢」の帰結なのだという。「バイヤー」の役割の低下と売り場の画一化。曰く、


だが、そのうち、徐々にではあるが、HMVは変わっていった。
同じく全国に支店を持つ外資系チェーンのタワーレコードと比べ、HMVは洗練された店づくりをするようになり、そういうイメージが定着していた。
その時期、タワーが手作り看板に手描きのポップをべたべたと張り雑多な店づくりをしていたのに対し、HMVは綺麗に印刷された看板に、印刷された解説ポップを主流とし始めた。

それは、一見、店内を見回すと洗練された、おしゃれなお店を演出するのには効果的な戦略だったと思もう。
ただ、それは、実のところ、同時に各店舗の個性を殺す事にもなった。印刷された看板やポップは、全国の各店舗で使われ、要は全国土のHMVに行っても同じアーティストのCDがプッシュされているという現象を生み出した。


ただ、HMVは、タワーとは対照的に、全国規模で同じアーティストをプッシュする方法を強めていった。その為、全国どこのHMVに行っても店頭で展開されているCDは同じアーティストのもので、看板もポップの文章も同じものになっていった。ひどい時は、ポップは僕らレーベル側が手作りし、それを全店舗に配ることまでした。

その結果は、想像どおりだった。
HMVの各店舗は、ものすごいスピードで画一化されていき、個性を失っていった。その上、各店舗での裁量が制限されたことで店舗のバイヤーのやる気が明らかに低下し、直接プレゼンに行っても、熱心に話を聞いてくれる人が明らかに減っていった。
それは、本部からおしつけられるアーティストの作品を、看板をつけてならべるだけの単純作業に変わり果て、挙句の果てには、看板をつけプロモーションビデオが見られるように作られた店頭展開の装置は、全く人目につかないところに無理やり置かれたり、その装置自体が壊れていてそのまま放置されている物まで出てきた。

ここまで行くと、もう、お客さんもそうだが、それ以上に僕ら送り出す側もHMVに対しての意識に変化が現れるのも当然だった。

お金を持っているレーベルの作品のみが店頭を飾り、無名だが輝きを放つ作品は棚の中にひっそりとしまわれ、時には在庫されることすらなかった。

僕の経験上で言えば、無名の海外のバンドを発売した時、HMVはほとんど取り扱ってくれなった。ただ、ほどなくしてタワーレコードでその作品に火がつくやいなや、やっと重い腰をあげて取り扱ってくれるようになった。

1990年代の後半から21世紀にかけて、ファッションの世界で、デパートの衰退とBEAMSとかUnited Arrowsといったセレクト・ショップの活性化ということが言われたのだが、それはデパートの商品をセレクトしてディスプレイする能力が衰退したということだった*3。そこで、一部のデパート、例えば伊勢丹などは、〈カリスマ・バイヤー〉を前面に出して、商品をセレクトしてディスプレイする能力を恢復しようと試みて、或る程度の成功を収めたのだけど、HMVは同じ時期にそれとは逆の方向に行ってしまったということなのか。
See also http://ameblo.jp/tsuyo-b/entry-10627511504.html