植木枝盛の家

『読売』の記事;


植木枝盛旧邸取り壊しへ…財政難で保存できず


 自由民権運動の思想家・植木枝盛(1857〜1892年)が後半生を過ごした高知市桜馬場の旧邸が、取り壊される見通しとなった。

 枝盛が書斎を「自由城」と名付け、現行憲法のルーツとも言われる草案「東洋大日本国国憲案」を起草したことで知られる記念すべき場所。「憲法の原点として歴史的に重要」として文化財指定を求める声もあったが、市の財政難のため実現しなかった。市は、8畳の書斎部分のみを市立自由民権記念館に移築するため、約1600万円を計上した補正予算案を9月議会に提出する方針。

 枝盛は高知市出身で、上京して福沢諭吉に学び、帰郷後は板垣退助の書生となって自由民権運動に身を投じた。1881年(明治14年)に書かれた「東洋大日本国国憲案」は、国民の自由と権利の保障などを明記した民主的な内容で、その精神は後の日本国憲法に影響を与えたとされる。

 旧邸は木造平屋で、江戸末期から明治前期に建てられたとみられる。老朽化が進み、市民団体や市議らが何らかの文化財指定をして保存すべきと求めていた。しかし、土地の購入には多額の費用がかかるとして、実現しなかった。

 旧邸は借家として使われてきたが、今年6月に入居者が退去して空き家となり、家主が取り壊しを決めた。市は書斎部分のみを譲り受けて移築する方針だが、保存を求めてきた市民らは「当初の場所になければ意味がない」と落胆している。
(2010年9月3日15時03分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100902-OYT1T00394.htm

植木枝盛の家が残っていたこと自体を知らなかった。
「保存」か「取り壊し」かということだけれど、活用ということが全然言及されていないことが不思議だ*1。「保存」は望ましいけれど、「保存」された建物が自ら地代やメンテナンス代くらい稼ぎ出してくれるのはもっと望ましい。建物が或る程度広ければブティック・ホテル、それほど広くなければ隠れ家的なカフェとか。オリジナルの記事には建物の写真があるのだけれど、あの赤い鉄の門は駄目。もし「保存」するとしたら、門こそ「取り壊し」て、時代考証を行って、建築当時の門を復元すべきだ。
ところで、上の記事で言及されている憲法草案は岩波文庫の『植木枝盛選集』に収録されている。また、彼はエクセントリックというか誇大妄想的なところがあって、そこを家永三郎(『革命思想の先駆者―植木枝盛の人と思想』)は批判していたのだけれど、そうだからこそ面白いとも言えるのではないか。 
植木枝盛選集 (岩波文庫 青 107-1)

植木枝盛選集 (岩波文庫 青 107-1)