GDPが増えること

GDPというのは要するに、或る国家の中で社会的なやり―取りが、貨幣を媒介にして市場で行われている、その量を示す数字だろう。だから、社会的なやり―取りが活発化すれば自ずとGDPは増大していく。少し前に「消費税が上がればC2Cの取引が絶対に活性化するよね」と書いたのだが*1、勿論その場合はいくらやり―取りが活発化してもGDPは増えない。また、麻薬密売や合法化されていない売春のような非合法的な市場における取引は、そこにおいて莫大な金が動かされていたとしても、GDPの増大には寄与しない。ところで、親族や友人以外の所謂赤の他人との社会的なやり―取りは通常市場において行われる。だから、GDPというのはその社会における赤の他人同士の社会的なやり―取りの密度を示しているともいえる。GDPが増えることを経済成長というのなら、経済成長というのは社会的なやり―取りの増大を(不正確ながら)反映しているといえる。ところで、経済成長を否定する人々、脱成長を唱える人々がどのような社会を理想としているのかはいまいちわからないところがある。(社交を含めた)社会的なやり―取りが少ない静かな社会を目指しているのか、それとも社会的なやり―取りの増大を非貨幣的な仕方で確保しようとしているのか。
さて、


求められている自動車中心の文化から公共交通や自転車へのシフトはGDPを減らす要因になるだろう。

自給用の作物を増やすことや、捨てられているものをできるだけ少なくし、不可避的に出てしまう捨てられるものもちゃんとリサイクルできるようにする仕組みが作られれば、それもGDPを減らす要因になると思う。
http://tu-ta.at.webry.info/200908/article_15.html

ここに書かれていることは、少なくともそれだけでは「GDPを減らす要因」にはならないと思う。バスやタクシーの運賃が支払われる以上、それらはGDPにカウントされるわけだし。自動車を運転しながら酒を飲んだり・本を読んだりすることはできないので、自動車旅行や自動車通勤を止めて電車に切り替える人が増えれば酒や本の売上げは伸びる! 勿論、みんなが家に引き籠ってしまえばGDPは減るけれど。「リサイクル」もちゃんと「リサイクル」されるということはそれが別の原材料として取引されるということなので、GDPを増大させる。反対に、「リサイクル」されないでそのまま自然界に捨てられたりすれば勿論GDPを産み出すことはない。