書くの時代?

ユニクロだの楽天だのが英語を社内公用語化するというのが話題になっているようだが、私の主張はそれよりも医療機関公用語を英語化すべしというもの*1
さて、


http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20100708/1278610532


海部美知「いまどき、普通の人なら、英語が書ければよろしい」http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20100708/1278610532


この方の意見というのは賛成のときも大反対のときもあるのだけれど*2、今回はかなり賛成という感じだ。曰く、


明治以降、古い時代の英語習得の主眼は、読むことに置かれていたように思う。外国の情報を日本に取り込むことが最重要だったから、外国語の文献を読むために外国語を習っていた。

私が英語を学び始めた1970年代頃には、「英語が読めてもしゃべれない」ということが大きく問題となり、「英会話」の重要性が増して、旧来の「読む」ことを重視した勉強法が「古臭い」と思われるようになった。いつ頃からそうなったのかは定かではないが、少なくともあの頃はそうだった。それは、飛行機が発達して国際間の人の行き来が盛んになり、実際に面と向かって外国人と話をする機会が飛躍的に増えたことが背景にあるだろう。そして、電話屋として我田引水すれば、「テレックス」の時代から「電話」の時代に移行して、「電話で話をする」ということが必要になってきたから、とも思う。テレックスでは伝えられない細かい内容は、旧来どおり手紙を書くか、または電話で話をするしかなかった。

その後ファックスが普及して、今度は「書く」ことによるコミュニケーションの時代への移行が始まる。そして90年代、eメールが通信のデフォルトになり、文書を添付したり、ウェブにアップしてURLを添付するという方法により、大量の情報を文章により相手に伝えられるようになった。旧来の手紙の時代よりもむしろ、文章を書くことの頻度も重要性も、これまた飛躍的に高くなり、「書く」時代への移行は決定的になった。

It’s difficult to define “common persons.” But suppose they are those who have educational backgrounds higher than bachelor and doing white-collar jobs. Nowadays almost everyone with such characteristics at least writes e-mails, I think. It’s not a special thing. I doubt whether there needs a special education for such a thing. Perhaps the current English teaching in Japanese high-schools or prep schools is enough. It’s more important that accumulated English skills are degenerated after entering university*3. To avoid degeneration, you have to keep on reading and writing. And you have to be embarrassed and learn lessons. BTW you cannot think like native speakers unless you are native. So when you write in English, you compose rough image in your mother tongue at first. Then you translate it into English by your brain and hand. It means that if you cannot write well in your mother tongue you cannot write well in English.