「老い」を巡って(鶴見俊輔)

大昔に読んだ本からの抜き書き。

鶴見俊輔「老いへの視野」(『家の中の広場』編集工房ノア、1982、pp.167-190)


いつまでも若くありたい。若くあるということが幸福の規律で、そこからはずれるのは不幸だという考え方から老人を見ると、ただ自分たちにとっての負担という局面だけでとらえることになり、自分たちが老いてゆく上での準備もまた恐怖と嫌悪に縁どられた陰惨な図柄になる。
それでは、明治以降入ってきた西洋近代文明の規準が、明治以前の価値感覚のすぐれた規準をおしのけてしまうことになる。
社会を、混沌から秩序への進歩として見たいという願いが、十八世紀以来の欧米文明をつらぬいており、その願いは、それにそぐわない側面を見まいとする無意識の努力によって裏打ちされてきた。
だが社会史として見ても、個人史として見ても、人間の精神は、混沌から秩序への一方通行ではない。混沌から秩序へ、さらによく整理された秩序へというのは無理であろう。そう考えるのは、事実の上に、宗教の図式をあてはめてこうならなくてはならないという刻印をあたえることである。そういう混沌→秩序という図式にあてはめて考えると、老いというのは困りもので、なるべく色々な策を講じて若さを保ち、よりよき秩序を実現させるようにということになり、もうろくがおきるとその事実を見ないように美化しようとしたり、老いたるものは消してしまうということを考えたりする。こういう欧米風の若さ執着の図式が、年よりの病苦をやわらげ、その活動期間をのばして、老人に安楽をもたらしたということはたしかだ。同時にこの考え方は老人をいつも若者の尺度で見ているので、老人にとってきわめてきゅうくつで自分の老いをまっすぐに見させないというところもある。それが老人にとって不利というだけでなく、青年、壮年にとっても、自分がやがて老いてゆき、もうろくするという未来を心において人間を見ないと、自分の人間の把握そのものが不十分になる。若さ本位というのは、きわめて残酷な考え方で、若さと健康をもたないものへの思いやりにかけた社会観をつくりだしやすい。(略)
社会史においても、個人史においても、混沌−秩序−混沌という、ほころびをうけいれる図式をもつほうが望ましいと私は思う。(pp.174-175)
また、

幼年と老年とは、思想の形としていくらか似ているところがある。その一つは、無文字社会の時間・空間の感覚をとりもどすことではないだろうか。
まず時間について言えば、文字のある社会には日付けがある。若さというのは××年×月×日のころで、すこし前というのは×時間×分前のことである。そういうふうに私たちは年表と暦と時計で過去と未来の位置をきめてくらしている。そういう計りかたになれてくると、もともと無文字社会の時間の感覚であった聖書や古事記などの過去・現在・未来の感覚はとらえられない。聖書や古事記が、われわれの時代には、一定の活字に印刷されて、共通の本文に固定されてひろく読まれているにもかかわらず、その本文に流れている時間を感得できない。
テキストの意味は固定するが、それをときあかす自分内部の原体験としての永遠はないという困難がある。
そういう場合にも、自分のおさないころの無文字の体験からかすかな光がさしてくる。もうひとつは、やがて自分を待っている無文字体験としてのもうろくの世界であり、それを思うことから、永遠のとりもどしを計ることができる。
空間について言えば、ついこないだ*1若い友人(乙骨淑子さん*2)が死んで、その人が作品を発表しはじめたころから知っているし、その人に会う前にその人の父親と知りあいだったので、自分がどこともわからない世界にほうりだされた、ぼうぼうたる感じがした。茫々というのは、境界がわからずひろがっている世界の中に自分がおかれているという感じだろう。親しい人の死にあたってそういう感じをもつだけでなく、夜なかに眼がさめた時にも方角がわからなぬ世界にいるという感じがある。幼いころの感じ、もうろくしてからの感じとあい似たところがあると思うが、その無方の世界にいるという感じは、幼年・老年以外のどの時代にも、人間につきまとっているのではないだろうか。
どこにいるのかわからないという感じ、ここにいるのこの自分は何かという感じ。これをいくら考えても、その神秘はうすれないし、むしろ年とともに深まる。(pp.187-188)
家の中の広場 (1982年)

家の中の広場 (1982年)

*1:このテクストの初出は『思想の科学』1980年12月号。

*2:『家の中の広場』に収められた「海軍の日々から−−乙骨淑子さんを悼む」(pp.223-227)を参照のこと。