替え玉

「替え玉受験」についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081208/1228702323http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090113/1231848239で言及したことがある。
『朝日』の記事;


大学替え玉受験、志願者が顔写真合成 母校も見抜けず(1/2ページ)

2010年5月10日4時8分


中央大学理工学部(東京都文京区)の2009年度入試で、志願者と、本人になりすまして受験した2人の顔写真をパソコンで合成して受験票にはり付け、大学側のチェックを逃れる替え玉受験があったことが分かった。不正は、匿名の投書がきっかけで発覚。2人の間にあった、小学校時代からのいじめの関係が、不正の背景にあったという。

 再発防止策として中大は、10年度の募集要項に「志願者以外が志願者本人になりすまして受験すること」が不正行為にあたると明記。試験会場で、志願者と受験票の顔写真との照合を厳重にしたほか、答案と入学手続きの筆跡を詳しく調べるなどしている。

 替え玉受験があったのは09年2月に行われた中大理工学部の一般入試。8255人が受験し、1822人が合格した。合格者の中に、首都圏の公立高校を卒業し、当時、一浪中だった男子もいた。

 しかし、合格発表後、浪人生と、なりすまして受験した都内の私立大学の理系学部に通う学生を名指し、替え玉を告発する匿名の投書が、中大と、この私大に届いた。入学手続きに来た浪人生に事情を聴いたところ、不正受験を認めた。このため中大は同年4月に合格を取り消した。

 大学関係者によると、替え玉受験をした2人は小中学校の同級生。両方の大学が事情を聴いたところ、学生は、小中学校時代から、浪人生のグループにいじめられていたという。2人は、中学卒業後、別々の高校に進んだが、関係は続いていたらしい。

 替え玉受験は、浪人生が、学生に指示して実行。2人の顔写真をパソコンに取り込み、お互いの顔に似ているように合成した。その際、浪人生の複数の友人も加わり、写真をつくったという。試験の際、中大は、会場で監督官が受験票の顔写真で、受験生が本人かどうか確認していたが、合成写真であることは見抜けなかったとしている。
http://www.asahi.com/national/update/0509/TKY201005090346.html

また、中大が、浪人生の出身高校へ写真を持って確認に行ったところ、校長は「うちの卒業生に間違いありません。本人です。替え玉であるはずがない」と不正を否定。それほど合成写真は、2人のどちらともとれる顔つきだったという。

 大学関係者によると、学生は、浪人生から数万円の現金を受け取っていた。しかし、いずれの大学幹部も、「学生が金銭のために引き受けたとは考えにくい。小さいころからいじめがあり、浪人生のグループからの指図を断れなかったようだ。学生に被害者的な面も強い」としている。学生は、通っていた大学を無期停学処分になったが、今は復学している。

 今回の不正について、中大関係者は「初めは信じられず、投書がなければ見過ごしていただろう。受験の本人確認は性善説に立っている。さまざまな機器が発達し、違った形の本人確認を考えないといけない時期にきているかもしれない」と話した。

 中大広報室は「手口をまねされる恐れがあるため、不正の詳細については言えません」としている。

 替え玉受験をめぐっては、1990年に法政大学が2人の入学を取り消したほか、91年に明治大学で、タレントの息子らの名義で現役大学生らが替え玉受験をしていたことが発覚。関与したとして同大職員を含む5人が有印私文書偽造罪などで起訴された。97年には茨城大学で中国人留学生による替え玉受験が判明している。(花野雄太、葉山梢)
http://www.asahi.com/national/update/0509/TKY201005090346_01.html

幾つか問題あり。先ず謎の密告者は誰だったのか。俺の勝手な推測では「替え玉」にされた「学生」本人だったのでは? 自分も痛手を負うけれども、これでこの「浪人生」の方はもう社会的に居場所を失ってしまうのではないか。警察が介入するような犯罪なら例えば刑期のような区切りがあるけれど、この場合はそれも関係なし。
ところで、この記事を読んで、この「替え玉受験」がばれなかったらこの2人は今後どうなっていたのかということを色々と妄想していた(嗚呼、時間の浪費!)。数年後、今度は「替え玉」で就職活動をやらせる。また、数年後結婚するが、この元「浪人生」は性的不能者なので、「替え玉」でセックスさせられ・子どもを作らされる。オチはまだ考えていないのだが、「分身」*1がテーマになる。最初は元「学生」はあくまでも「替え玉」にすぎなかったのだが、段々と「替え玉」は自分のコントロールから逃れて、独立した人格として振る舞い始める。〈自分〉が自分の意志とは全く関係なく勝手に動いている感じ。「替え玉」(「分身」)が次々とやらかした行為を事後的に〈自分〉の行為として承認させられるようになる。等々。
もう一つの問題は写真の真実性を巡って。「中大関係者」は「受験の本人確認は性善説に立っている」と言っている。そもそも写真、特にディジタル写真の真実性は「性善説」に依存しているのではないか。アナログ写真は或る意味で「実在論的(realist)」であると言える。つまり、アナログ「写真を観るとき、私たちは化学変化によって定着したイメージを観ていると同時に、レンズによってかつて感知された物質的(光学的)実在の痕跡を観ている」*2。しかし、ディジタルの場合はこのような物質的裏付けはない。さらに、フォトショップなどを使えば誰でも「合成」写真いや〈写虚〉を作成することができる。これは多分ディジタル写真の法的な証拠能力の問題とも関連するのだろうけど、1様のフォトグラフが「レンズによってかつて感知された物質的(光学的)実在の痕跡」であること、つまり写真であって〈写虚〉ではないことはどのようにして証明するのか。それはそのフォトグラフを提示した者への信頼、その善意の推定、つまり或る種の「性善説」に究極的には頼るしかないのでは?*3

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100506/1273160071

*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060515/1147713767 See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060928/1159456569

*3:この問題については、例えば港千尋『映像論』を参照のこと。

映像論 〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ (NHKブックス)

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