Numerical objectives

徐友漁「政治運動中的“数目字管理”」『上海書評』2010年2月7日、p.5


楊奎松『中華人民共和国国史研究』(江西人民出版社、2009[全2冊])という本の書評。
評者の徐氏が紹介するところによれば、中国の政治運動には常に「左傾」の危険が伴っていた。例えば、抗日戦争勝利後、1946年に中共中央は「土地改革」に関する指令を出したが、それは主に有償で地主から土地を買い上げて農民に分配するという穏和なものだった。しかし、直ぐにそれは過激化し、地主から財産を没収し、また逮捕し、吊し上げるというものに変わっていった。さらに糾弾の対象は富農、中農、また地主出身の共産党幹部にまで拡げられ、1947年の時点で「消滅」された「地主」・「富農」は25万人に上った。
また、1950年からの「鎮圧反革命」運動の中で「政務院」*1が公布した「中華人民共和国懲治反革命条例」では、「已遂」と「未遂」の区別、「意図」と「現行」の区別が否定され、これが「反革命」という概念の恣意的な解釈・運用を招いた。
中国の「政治運動」を悲惨なものとしたのは〈数値目標〉である。上部がターゲットの百分率を一方的に発表すると、下部はその目標を達成しようと躍起になって、それが多くの冤罪を産み出した。「反右派闘争」では最初に、「右派」は5%という〈数値目標〉が提示された。また、「土地改革」では毛沢東の、地主・富農は8%という「論断」が大きな影響力を持ったが、それは彼が江西省で行った調査に基づくもので、その他の地区では4〜6%が普通で、以前から共産党が権力を握っていた「老解放区」では平均2.4%だった。「土地改革」の過激化の一因は、この数字のギャップにある。

*1:現在は国務院。