殺すな

承前*1

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20100205/1265364049


これはひどい、を何回言えばいいのか。
THIS IS IT』のDVDが売れていることについて。


だから、もし映像ソフトをもっと売りたいのならば、『THIS IS IT』のようなソフトを作ればいいのである。そうすれば、みんなそれに飢えているわけだから、いくらでも売れるのだ。その意味で、時代はむしろ、映像ソフトに追い風だと言ってもいいくらいだ。なにしろ『THIS IS IT』のようなソフトをリリースすれば、ビッグセールスは約束されているのだから。

映像ソフトにかかわるほとんどの人々が、そもそも「『THIS IS IT』のようなソフトを作ろうという発想」に欠けているのだ。「お金や時間がない」とか「時代が違う」とか「ノウハウがない」とか、「そもそも実力や才能がない」などというのは、みんな後から取ってつけた言い訳である。それ以前に、そもそもそういう気持ちがない。

「おれも『THIS IS IT』のようなソフトを作ってやるんだ!」という、気概と情熱に欠けている。だから、「『THIS IS IT』のようなソフトを作ろうという発想」には、なかなか結びつかないのだ。

勿論、マイケル・ジャクソンのようなスーパースターの映像であれば、黙っていても、それなりのセールスを記録することは容易だろう。しかし、『THIS IS IT』を観る人は、これがマイケル・ジャクソンがカメラの前で歌い・踊った最後の姿であること、マイケル・ジャクソンのパフォーマンスを生で見ることは既に不可能であることを知っている。、『THIS IS IT』よりも映像としての質が高いものは少なからずあるにも拘わらず、『THIS IS IT』がヒットしているというのは、このような偶発性に支えられているのだ。「気概と情熱」で作れるものじゃない。因みに、Kenny Ortegaは、この映画の〈究極のオチ〉、つまりこのリハーサルに本番は存在しないということを字幕とかナレーションで言及することなく、観客の想像に委ねたことにおいて、映画作家として評価されるべきだろう。
さて、

中孝介のように、どんな歌を歌おうが、それを聞くだけでお金を払う価値があると思わせる歌手こそが、今本当に求められているコンテンツだ。だから、もしぼくがレコード会社のプロデューサーだったら、彼を徹底的に鍛えまくるだろう。そうして、鍛えて鍛えて鍛えまくった末に、気概と情熱を持って制作した乾坤一擲のコンテンツを携えさせて、パッケージソフトとして世に問うのである。
中孝介*2は日本よりも先ず台湾や中国大陸といった中華圏でブレイクした人なので、国際的な市場への目配りは利いているんだなとは思ったけれど、一瞬、中孝介を殺すな! と思ったことも事実なのだ。
岩崎夏海という人のエントリーは不愉快だけしか提供しないが、http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-e3e1.htmlは、読んでいてハッピーな気分になれる。『THIS IS IT』を観て、Orianthi Panagarisというギタリストをかっこいいと思った人は私だけではないようだが、彼女のソロ・デビュー・アルバムが出たという。これはたのしみ!