虎児

承前*1

1月23日は墓参り*2をする。午前中は陽気が強く午後になると陰気が強くなってくるので墓参りは午前中に済ませろと言われたので、朝早くから起きて、裏山を登る。因みに、妻の玄祖母の墓碑(墓表)を妻が書き写している*3
午後から諾蠟村(诺邓)*4へ行く。今回はこの村出身の人に案内して貰う。
「诺邓」という地名の由来だが、この地に最初に定着したのが「諾」姓と「蠟」姓の人だったからだという説あり(黄金鼎、李文筆編『千年白族村――諾蠟』*5、p.50)。また、白語ではLao deと読む。これは「虎児」の意味でもあるという(p.51)。

村の東側(河東)を望む。

かつての道士(「道長」)の屋敷。現在は地元の共産党と「村民委員会」と「遺産保護與旅游開発協会」のオフィスが入っている。だが、訪れたときは誰もおらず、誰でも自由に見物できるようになっていた。

かつての「塩局」。現在は「老年人協会」。かつて塩の生産者は塩を直接商人に売り渡すことは許されず、「塩局」に納めることが義務づけられており、「塩局」はそうした塩を塩商人に再分配していた。

この家の犬かと思ったが、この家の犬は別犬だった。

この村では、製塩業は1995年以来公式には行われておらず(p.91)、かつての製塩工場は現在は火腿(ハム)工場になってしまっている。しかし、塩をつくり続けている家もあり、塩釜を見せてもらった。年に1度、井戸から汲んだ塩水をこの釜で煮て製塩するという。

龍王廟。通常龍王信仰は雨乞いに結びついている。しかし、ここでは逆に、龍王に雨が降らないことを祈願するのだという。雨が少なければ、塩水の濃度は高くなる。