鳥葬などメモ

http://d.hatena.ne.jp/huixing/20091109/skyburial


チベットの「鳥葬」*1の写真。理塘にて。1000以上のブックマークが集中している。
BBCのドキュメンタリー、A Year in Tibet*2でも「鳥葬」の場面は映し出されていたが、これほど生々しい映像はなし。
佛教的には、死後、霊魂は輪廻転生して別の肉体に入りこむので、それまでの肉体(屍体)は不要ということになる。なので、不要になった肉体で以て他の生命を養うという布施という意味を有しているのであろう。そもそもチベットではその生態学的条件故に薪が貴重品であったので、火葬は一部の高僧の場合にしか行われなかった。土葬はチベットで最も忌み嫌われる葬り方で、罪人や伝染病の死者の場合にしか行われなかった。また、水葬も行われるらしいが、その意味づけについては失念してしまった。チベットの葬法について読んだのは、たしか色川大吉編『チベット曼荼羅の世界』だった。

上記の記事へのブクマ・コメント*3に「洗骨」への言及が散見される。「洗骨」は琉球独自というよりは寧ろ東シナ海文化と捉えるべきであろうが、「洗骨」に関して、骨/肉の対立とご飯/おかずの対立を重ね合わせて考察した論攷として、


Stuart E. Thompson “Death, Food, and Fertility” in James L. Watson & Evelyn S. Rawski (eds.) Death Ritual in Late Imperial and Modern China, pp.71-108


をマークしておく。

Death Ritual in Late Imperial and Modern China (Studies on China)

Death Ritual in Late Imperial and Modern China (Studies on China)