裴偉「最早批評《大地》的朝鮮文人」『書城』2010年1月号、pp.109-111
パール・バックの『大地(The Good Earth)』は1931年3月に出版された。それに対して、Younghill Kangという人がThe New Republicの1931年7月1日号に批判的な書評を執筆している。長らく、Younghill Kangは中国系であると信じられ、「康永煕」という漢字が宛てられていた。Younghill Kang(「康永煕」)が中国人ではなく朝鮮系であることを明らかにしたのは河南の郝素玲。裴氏は郝素玲の
「康永煕與賽珍珠研究」『河南師範大学学報』1998年5期
「康永煕是中国人嗎?」『国外文学』1999年2期
という2つのテクストを挙げている(p.110)*1。しかし、郝素玲の研究ではYounghill Kangの来歴も詳しくなく、「康永煕」という漢字表記の根拠も明らかではなかったという。裴氏が「大韓民国駐台湾地区代表部」に問い合わせたところ、2008年5月に書面でYounghill Kangの漢字表記が「姜?訖」であるという回答を得たという(ibid.)。以下、裴偉氏が調べた姜?訖(Younghill Kang)の略伝をメモする;
以上、例えば川瀬さん*8のような、朝鮮文化に詳しい方にとっては自明な事柄かも知れないが、私にとっては初耳だったので、取り敢えずメモしておいた。
姜?訖(1898.5.10−1972.12.2)、生於朝鮮咸鏡道、與中国吉林延辺一江之隔。姜?訖幼年先受儒学教育、後入美国伝教士辦的教会学校読書、一九二一年他離開祖国、先到加拿大、後移民美国、除自己広泛閲読英美経典外、辺打工辺在波士頓*2和哈佛*3大学学習並獲学士学位、一九二四到一九二七年間他用韓語和日語創作、他出版的第一部書是《東方詩篇訳本》(1921)。一九二八年開始在其美国妻子弗朗西絲・基利(Frances Keeley)幇助下用英語写作。曽任《大不列顚百科全書》*4編輯和紐約大学英文系講師、在紐約大学結識了同事、作家湯姆斯・沃爾夫(Thomas Wolfe)。伍爾夫*5看了他正在創作的《茅草屋頂》(The Grass Roof、韓国訳為《草堂》)前四章、在沃爾夫推薦下、此小説(描写一個朝鮮青年在祖国的生活和他的離朝赴美)得以在一九三一年出版。伍爾夫評介他:“天才作家、自由自在、精力充沛、熱愛生活、極具詩人天賦。”一九三一到一九三五年、姜?訖受古根海姆*6文学創作基金資助到了徳国和意大利、併於一九三七年出版了《従東到西》*7、講述一個朝鮮人在美生活。他曽任美国政府亜洲顧問、紐約都市博物館館長、但未獲得過甚麽永久職位、常四処演講、講他的祖国。他擁有衆多読者、也獲得過数項不太重要的文学奨和東京大学栄誉博士学位、有両子一女。拠説他曽説自己運気太糟、他的叙述亜洲的書出版時、剛好遭遇了賽珍珠的《大地》。一九七二年因術後大出血逝世於紐約一家医院。(pp.110-111)
パール・バックについては、Jonathan Spence The Chan’s Great Continent: China in Western Minds*9の第9章” An American Exotic?”も参照のこと。
The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)
- 作者: Jonathan D. Spence
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