広島はまずい

『産経』の記事;


天皇陛下江戸城より京都に」 亀井氏、昼食会で進言
2009.12.27 13:04


 国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は27日、民放討論番組に出演し、「私は恐れ多くも陛下に申し上げた。『権力の象徴だった江戸城にお住まいになられるのでなく、京都か、あるいは(亀井氏の地元の)広島に』と口が滑って言ってしまった」と述べた。天皇誕生日の23日に天皇陛下と面会した際に進言したという。

 亀井氏はその後、記者団に対して、「陛下は『京都、好きです』とは言っておられた」とした上で、「幕府の権力の象徴のお城の跡に、入られたのが間違いだった。その後の歴史が陛下の政治利用みたいな形になっていった」と指摘した。ただ、「たまたまお食事をいただきながら言っただけの話」とも述べ、政府・与党で皇居移転を具体的に検討していくわけではないとした。

 また、亀井氏は討論番組で日本における天皇の役割について「象徴であり元首だ。国民の崇敬を一身に集めていて、統合の象徴という意味なら象徴だ」と明言した。これに対し、社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は同番組で「憲法上の問題で元首と指摘するのはどうか」と反論した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091227/stt0912271306004-n1.htm

先ず、天皇と「広島」という組み合わせはまずいと思う。広島はかつて大本営があったところなので、どうしても〈大元帥〉としての天皇というイメージがダブってしまう。
それから、天皇が「元首」なのか「象徴」なのかというのは憲法学上は大問題なのだろうけど、どうもぴんと来ない。私は天皇制民営化を支持する共和主義者なので*1、「元首」だろうが「象徴」だろうが、どちらも君主制であって、廃止の対象とすべきだと思うのだが。天皇を「元首」とする論の方が正直でいいと思う。「元首」という言葉が回避されることによって、日本の政体が〈立憲君主制〉であることが隠蔽される。その結果蔓延るのは、どちらも感傷的で、すなわち非政治的な天皇制擁護論と反天皇制論ということになる。「元首」が回避されることによって、政体の選択(君主制か共和制か)をクールに論じることが抑圧されているのだ。
ただ、〈象徴天皇制〉には大いに同情の余地がある。というのも、右翼においても〈象徴天皇制〉を〈象徴天皇制〉として本気で擁護する人間はとても少ないように思えるからだ。右翼にとって、〈象徴天皇制〉とは天皇制擬き、GHQとか左との妥協の産物にすぎないだろうから。
(以前にも触れたが)象徴天皇制立憲君主制)の利点を述べておけば、立憲君主制というのは権力と権威の分離の一形式なので、途轍もない独裁政治に対しては、最後の歯止めになる可能性がある。権力と権威の分離について説得力のある論を提示できない〈反天皇主義者〉に(例えば)佐藤優を批判する資格はないというのはたしかである*2
ところで、『産経』の記者というのは右翼の分際で、拝謁とかお目通りという語彙はないのか。