ニーチェとかマッハとかフッサールとか

池田信夫「マッハとニーチェhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51329795.html


木田元先生の『マッハとニーチェ』という本の書評。私はこの本は持っていないが、その内容は『大航海』連載時に粗方読んではいる。
(木田先生ではなくて池田信夫の)内容は問題だらけ。


いま私の書いているイノベーションについての本の出発点は、マッハである。彼の名前は、世間ではジェット機の速度の単位でしか知られていないだろうが、本書も指摘するように彼は20世紀の思想の源流ともいうべき存在で、ニーチェフッサールも彼の影響を受けた。
フッサールがマッハの影響を受けたことは事実だが、ニーチェがマッハの影響を受けたというのは、PledgeCrewさんがコメントしているように、「ニーチェがマッハの影響を受けたというのは時系列的にもありえんだろう」*1木田元先生曰く、

ニーチェがこうした最後期の断想を書き綴っていた同じ一八八〇年代のなかば、これははっきりとダーウィニズムに立脚してニーチェのそれときわめて似た認識理論を体系的に展開した思想家がいた。エルンスト・マッハである。(『哲学と反哲学』、p.96)
哲学と反哲学 (同時代ライブラリー (279))

哲学と反哲学 (同時代ライブラリー (279))


マッハは『力学史』で、すべての物理現象をニュートン力学で説明する「力学的世界観」は一種の形而上学だと批判し、現象界そのものを論じる現象学という学問を提唱した。これをヒントにして、アインシュタインは力学と電磁気学を統一する相対性理論を発見した。それまで前者によって後者を説明する理論はあったが、複雑で矛盾したものだった。アインシュタインは逆に、電磁気学で力学を説明する「コペルニクス的転回」をなしとげたのである。

同じころ最晩年のニーチェは、神や自我などの観念はパースペクティブによって生み出されたものだと書いた。パースペクティブとは、社会を支配するために人々に植え付けられる固定観念で、プラトン以来の西洋の形而上学は、すべて虚偽のパースペクティブだとニーチェは批判した。彼も現象界の背後にある超越的価値を否定して「現象学」を提唱した。

彼らの現象学は、ヘーゲルの『精神の現象学』に影響されていると思われるが、同じ言葉を使って学問体系を創始したのがフッサールだった。ここではパースペクティブに相当する概念として地平という言葉が使われ、それは後期には「生活世界」から生まれてくる相互主観的な共有知識としてとらえなおされた。ソシュール以降の言語理論も、この相互主観的な地平を言語の中に見出すものだった。

ここでは、特に「パースペクティブ」や「地平」といった基本用語に関して、問題がありまくりで、疑問符が誘発されるのだが、

font-da*2 ニーチェ現象学を提唱?!ビックリしてこの本みたら、ニーチェも(引用符付きで)現象学という言葉を使ったとのこと。全然ちゃうやんけ。ええ加減やなあ。 2009/12/16
http://b.hatena.ne.jp/font-da/20091216#bookmark-17965223
というコメントを見つけたので、先ず「現象学」という言葉の起源について、それなりにオーソドックスな見解を引いておく;

フッサールは、数学や論理学の始原(起源/根源)を取り戻そうとした。この始原は「直接経験」にある。直接経験とは、ものを見る、ものに触るといったような、具体的な経験である。
だが、当時すでに、この直接経験を発掘しようとした人々がいた。なかでも重要なのは、一九世紀末のウィーン大学に居城を構えたE・マッハ(一八三八〜一九一六年)である。マッハは、音速の単位(マッハ1といったマッハ数)の由来にもなっている物理学者/自然科学者であり、そのニュートン力学批判によってアインシュタインに影響を与えたことでも知られているが、しかしまた、独創的な哲学者でもあった。マッハは、経験主義と実証主義を標榜して新たな学問的哲学を提唱した。科学には「唯一の基礎」がある。その基礎は、「経験」であり、より正確には「感覚」だと言うのである。そして、この基礎を発掘する新たな学問をマッハは「現象学」とも呼んでいた。
フッサールは、マッハの「現象学」の語法を知っていたし、後にマッハと個人的交流ももつ(マッハはフッサールを高く評価していた)。フッサールの「現象学」はマッハの「現象学」と無関係ではない。
しかしながら、当時、これとは別に、フッサールの兄弟子C・シュトゥンプ(一八四八〜一九三六年)のグループでも「現象学」という言葉が使われていたらしいし(これはマッハではなく論理学者・哲学者ロッツェに由来するらしい)、(略)A・プフェンダー(一八七〇〜一九四一年)もフッサールに会う以前に『意志の現象学』(一九〇〇年)という著書を刊行していた。さらには、ブレンターノ(一八三八〜一九一七年)やベーリングといった人々の考え方も、広い意味で「現象学的」と呼ばれていたらしい。フッサール自身、みずからが「現象学」という語を採用した経緯について述べている。「その新たな学問は現象学命名された。なぜなら、この新たな学問あるいはそれの新たな方法は、すでに以前の個々の自然研究者たちや心理学者たちによって要求され用いられていた現象学的方法のある徹底化によって生じたからである」。フッサールの「現象学」以前にすでに複数の人々が「現象学」という言葉を使っており、また、すでに複数の人々の学問傾向が「現象学的」と呼ばれていたのである。この意味で「現象学」はフッサールの専売特許ではなかった。しかし、そうだからこそ、フッサールは、そうした広義の現象学と区別するために、自身の「徹底化」された現象学を「純粋現象学」とか「超越論的現象学」と呼ぶことになる(「純粋」と「超越論的」は完全に同義ではないが、大きく重なる)。(谷徹『これが現象学だ』、pp.38-39)
これが現象学だ (講談社現代新書)

これが現象学だ (講談社現代新書)

パースペクティヴについて。池田信夫の要約を読むと、ニーチェって頭の結構が単純なサヨクみたいじゃんと一瞬思ってしまう。また、ここから陰謀理論までの距離はかなり近いともいえよう*3。しかし、ニーチェを元祖陰謀論にしちゃったら、多分ニーチェも吃驚して、狂気の底から正気を恢復しちゃんじゃないか。先ずパースペクティヴというのは普通「遠近法」と訳されているように、美術(美術史)や光学との関係で長い間論じられてきたものだということを押さえておかければならない。多分、ニーチェに見られるようにパースペクティヴが哲学的に主題化されることと、印象派以降の近代美術から現代アートへの過渡期における遠近法の危機というのは平行関係にあるんじゃないか。また後期のニーチェについて言えば、何よりも「力への意志(Wille zur Macht)」との関係を考えるべきだろう。つまり、私たちにとって、世界というのは客観的・超越的なものではなく、特定の利害=関心(interest)を伴い、特定の視角(パースペクティヴ)を伴った「力への意志」によってその都度その都度構成されたものにすぎない*4。そのような現実の世界を「仮象」として貶め、その彼方に一切の利害関心やパースペクティヴから超越した「真理」が存在すると主張するものはニーチェにとっては「形而上学」なのだが、アルチュセール以降に生きる私たちは、これをイデオロギーと呼び換えてもよさそうな気がする(Cf. 木田元『哲学と反哲学』p.81ff.、『反哲学史』p.220ff)。それはともかくとして、私たちに世界は特定の位置から・特定の仕方で構成されたものとして現れてくる。これは私たちが身体として現実存在する故であろう。だから、フッサールにおいては、パースペクティヴ性の考察はキネステーゼ*5と結びつけられている(cf. 新田義弘『現代哲学』、p.97ff.)。「地平」については、かなり長い引用を予定していることもあり、明日以降。「パースペクティヴ」にせよ「地平」にせよ、そもそも映像と関係の深い概念であり、池田信夫ってそれでも元NHKのディレクターなのかよとも思ってしまった。
反哲学史 (講談社学術文庫)

反哲学史 (講談社学術文庫)

現代哲学―現象学と解釈学 (叢書 現象学と解釈学)

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