動物魂

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池田信夫氏曰く、


競争を促進しなければ成長しないが、その裏(競争を促進すれば必ず成長する)は正しくない。むしろ本質的な問題は、日本人がみんな「草食系」になってアニマル・スピリッツを失っていることだ。
これは正しいと思う。ただ、

日本人も生まれつきリスクがきらいというわけではなく、80年代には世界中の不動産を日本が買い占めると恐れられたこともあった。しかしその強気が崩壊してから20年、いまだに立ち直れない。このアニマル・スピリッツの不足が日本の最大の問題で、デフレの根本原因も投資機会の不足による慢性的な需要不足だ。これを雇用規制や返済猶予などの温情主義で変えることはできないし、弱気のままで日銀がいくらお札をばらまいても投資は起こらない。「デフレのときは起業も困難だから、まずデフレを止めよう」などという話は、因果関係をまったく逆にみているのである。
というのはどうか。それで、後半では規制緩和だとか雇用の流動化といったお馴染みの新自由主義話が続く。多分、そのような新自由主義話では「需要不足」の解消も「アニマル・スピリッツ」の復活も可能にはならないのではないかと思う。
ところで、アート市場に限って言えば、1980年代のバブルの頃でもリスクを取るということはしなかった。「コレクターや画商の金は既に有名な海外のアーティストの作品に専ら注ぎ込まれ、日本の若手のアーティストに投資して、その人たちを育成していくということはあまりなされなかった」のだ*1
「投資機会の不足による慢性的な需要不足」って、私の無知或いは日本語力の不足のせいかもしれないが、因と果が同じになってしまっているのでは? 「需要不足」というのが(普通に考えれば)消費者の欲望、さらには消費力(可処分所得)に関係しているのは明らかだろう。可処分所得は景気が恢復すれば増えるわけだが、それを持ち出すと、因と果が循環してしまうので、これ以上は言及しない。消費者の欲望について言えば、それは市場の成熟(飽和)ということ、日本が既に先進国であるということだろう。「アニマル・スピリッツ」の弱化もこれと関係がある。不況とはいえ、〈失うもの〉を持っている小金持ちが多いわけだ。「デフレには個人の実質所得を増加させる側面があ」る(植草一秀*2というような〈良いデフレ〉論に共感してしまう人というのは、俺たちもう充分に金持ちなんだから(アフリカを見ろよ)そんながつがつしなくてもいいんじゃないのという気分を共有しているのではないか。戦中戦後を経験した高齢者では、日本経済が駄目になるといっても焼け野原の敗戦後に戻るわけじゃないんだから、と思っている人も多いのでは?*3。因みに、高齢者のインフレ恐怖*4というのは理解できる。私は子どもの頃、大人から、満員の東上線に乗って埼玉に芋を買い出しに行ってヒャクショーにいじめられたとか、そういう話をよく聞いていたのだ。
さて、リスクを取るということが不確定な先行投資に敢えて賭けるということであるなら、そういう意味での「アニマル・スピリッツ」を萎えさせたのは、(新自由主義者お勧めの)キャッシュ・フロー経営の普及であろう。これは株主中心主義とも関係するのだろうけど、短期のキャッシュ・フローを良くするにはリスキーな新規投資を行うよりも、人件費を切り詰めたり、ちょっと採算の悪い部門を切り捨てたりする方がお手軽で確実であろう*5キャッシュ・フローに呪縛されて、企業の方でも長期的な視野をもっての強気の投資を行いにくくなっているのではないか。多分、その心性が企業経営ではなく、国家予算、公共事業に乗り移ったのが〈事業仕分け〉なのだろう*6
また、池田氏はお約束のようにリフレ論をdisっているわけだが、デフレが「不動産や株式などの実物資産が売られて、現金、預金、国債に資金がシフトするタイプのバブル」(深尾光洋)*7である以上、リフレ政策の発動は国債とか定期預金といったロー・リスクな投資の魅力を減じさせ、資産家を株式や社債などのよりリスクの高い投資へと誘導する効果があるのでは?

池田信夫氏は「アニマル・スピリッツとは、ある意味で根拠なき強気だ」という。ここから、1980年代に知的青春時代を送った人ならば、柄谷行人マルクスキルケゴール的な「命懸けの跳躍」という言葉を思い出すのではないだろうか。また、これは〈信仰〉の問題でもある。信じるということは常に「根拠なき」ものだからだ*8
ところで、敢えてリスクを取るといえば、その最たるものは、得体も知れぬ〈他者〉の歓待であろう。池田氏いうところの「アニマル・スピリッツ」の弱化は多分排外主義の跋扈と軌を一にしている。(宗教的な準位も含む)〈他者〉問題に関して、取り敢えず、デリダの「歓待について」(in 『言葉にのって』、pp.91-107)、『死を与える』、John D. Caputo “Openness to the Mystery”(in Radical Hermeneutics, pp.268-294)、J. Hills Miller Othersをマークしておく。

言葉にのって―哲学的スナップショット (ちくま学芸文庫)

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死を与える (ちくま学芸文庫)

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Radical Hermeneutics: Repetition, Deconstruction, and the Hermeneutic Project (Studies in Phenomenology and Existential Philosophy)

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Others

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