清水の舞台から

承前*1

ほんとうに「清水の舞台」から飛び降りてしまった人がいた。
京都新聞』の記事;


清水の舞台から転落も無事 滋賀の大学生


2009年10月2日(金)8時59分配信 京都新聞


 国宝の清水寺本堂(京都市東山区)・清水の舞台から9月末、滋賀県の男子大学生(18)が飛び降り、約12メートル下に転落したが、一命を取り留めていたことが1日分かった。大学生は全身を打撲したが、意識はあるという。同寺の福岡正芳副次長は「助かって本当に良かった。命を大切にし、二度としないでほしい」と話している。

 清水寺や東山署、市消防局によると、大学生は9月30日午後5時ごろ、舞台東側に走り寄り、高さ約1メートルの欄干をまたいで飛び降りた。目撃した観光客が110番し、駆け付けた救急隊員が砂利状の斜面で倒れていた大学生を市内の病院に搬送したという。

 東山署によると、大学生は「自分で飛び降りたが、その前後の記憶はない」などと話したという。

 東山消防署は、舞台の下にある木の枝がクッションになったか、落下地点が砂利だったのが幸いした−と分析。「亡くなってもおかしくない落差。助かったのは奇跡的」としている。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyoto-20091002-P2009100200031/1.htm

「自分で飛び降りたが、その前後の記憶はない」ということなので、はたして〈飛び降りた〉という能動的表現を使っていいものなのかどうか。タイトルに使われている「転落」という言葉は、そこら辺をぼかした表現だということになる。
妄想に促されて、高い場所から飛び降りるというと、Lucy in the Sky with Diamondを思い起こさせるのだが、まさか。