ビルマ内戦?

8月末に、「ビルマ北部Kokang(「果敢特区」)で、8月7日、ビルマ政府軍と「果敢同盟軍」が武装対峙状態になり、8日以降、1万人以上の難民が国境を越えた中国雲南省臨滄市鎮康県南傘鎮に流出しているという」と書いたのだが*1


周寧、呉海雲「緬甸内戦波及中国辺境」『鳳凰週刊』2009年9月15日、pp.16-25


今回のビルマ政府軍の「果敢特区」への侵攻の背景には2008年5月に通過したビルマの新憲法がある。この新憲法では少数民族武装組織の制限・改編が盛り込まれている。ビルマには135の少数民族あり、25の少数民族が独自の武装組織を有しているが、そのうち17の民族がビルマ政府と停戦協定を結び、2010年に予定されている総選挙後に武装組織再編問題について交渉しようとしたが、ビルマ政府側はこれを拒否し、2009年10月までに強硬に少数民族武装組織再編を実行しようとし、このため、20年近く熄んでいたビルマ政府軍と諸少数民族との間の戦火が再燃した。そのうちで最も大きな戦闘は、6月のKaren National Liberation Army(=KNLA)に対する掃討で、4000名以上のカレン族が難民としてタイ領内に流出した(pp.20-21)。
ところで、「果敢特区」はビルマ共産党の根拠地であり続けた。しかし、1989年の軍事クーデタの過程で、ビルマ共産党は崩壊し、党主席の「徳欽巴登頂」を初めとする一部の幹部は中国に亡命し、ビルマ領内に残った旧共産党勢力は4つに分裂し、それぞれに独立を宣言し、ビルマ政府と停戦協定を結び、「四大特区」を成立させ、独自の武装組織つきの自治権を得た。今回政府軍に侵攻され・制圧された「果敢特区」政府主席の彭家声も、ビルマ政府と停戦協定を結んだ旧共産党指導者の1人である(p.21)。
また、今回の「果敢特区」での事件は「果敢族」、「果敢同盟軍」の内戦という側面も有している。「果敢同盟軍」の白所成副司令官は、ビルマ政府軍の側に立って、「果敢特区」制圧に大きな役割を果たした。白所成は「漢奸」扱いされる一方、そのシンパは寧ろ彭一族の「特区」私物化を指摘している(p.22)。
また、8月29日に、Chinese-kokang United Allianceが米国で結成され、ビルマ政府軍と戦うために、義勇軍を「果敢特区」に送ることを宣言している。


新しい報道としては、


周寧、何謙、邱靖「緬甸内戦一触即発」『鳳凰週刊』2009年9月25日、pp.50-55
張来畇「緬甸果敢戦史親歴記」、pp.56-59


前者では、カチン族やワ族の情況も報告されている。