日記を盗み読みすること(ポール・オースター)

承前*1

リヴァイアサン (新潮文庫)

リヴァイアサン (新潮文庫)

ポール・オースターリヴァイアサン』で、登場人物でナレーターの「ピーター」とその最初の妻「ディーリア」との関係が破綻する契機として;


(前略)ある晩、デイヴィッド*2も一緒に三人で居間にいたとき、ディーリアが私に、二階の彼女の書斎の棚に置いた眼鏡を取ってきてくれと頼んだのがはじまりだった。私が部屋に入っていくと、机の上に彼女の日記が拡げてあった。ディーリアは十三か十四のころからずっと日記をつけていて、いまはもうそれが何十冊にも及んでいた。どのノートブックにも、彼女の内的生活のはてしないサーガがびっしり書き込まれていて、ディーリアはよくその一部を読んで聞かせてくれた。その晩まで私は、断りなしにそのなかを覗いてみようなどと考えたこともなかったが、その瞬間、そこに立っていると、読んでみたいという、途方もなく激しい気持ちに襲われた。いまの私には、これこそ我々二人の暮らしがもはや終わっていたことの証しだとわかる。暗黙の信頼を裏切ろうかと考えたということは、自分たちの結婚生活に対する望みを私がすっかり捨てていたということだ。だがそのときの私にはそんな自覚はなかった。そのとき感じたのは好奇心だけだった。日記は机の上に拡げてあり、ディーリアはたったいま私に、彼女に代わって部屋に入る用事を頼んだ。日記が私の目にとまることを、きっと承知していたにちがいない。だとすれば、書いたものを私が読むよう、ほとんど彼女の方から仕向けているようなものではないか。真偽はどうあれ、それがあの晩私の考えた口実だったし、いまでもそれが間違いだったという確信はない。そうやって遠回しに行動するのはいかにもディーリアらしい。危機を誘発しておいて、自分はその責任を取らずに済むような手に出る。それが彼女一流の手口だった。こうすれば、自体を思うように動かしながらも、自分の手は汚れていないと信じていられるのだった。
こうして私は、開かれた日記に目を落とした。ひとたびその一線を越えてしまうと、もはやあと戻りはできなかった。その日のテーマが自分であることを私は見てとった。そこにあったのは、不満と愚痴の網羅的カタログ、科学実験の報告書の文体で書かれた陰々滅々たる文書だった。ディーリアは何から何までカバーしていた。私の服装にはじまり、私の食べる物を経て、私の度しがたい思いやりの欠如に至るまで。私は病的であり自己中心的であり、軽薄で横暴で、執念深くて怠惰で落着きがなかった。たとえこれらがすべて本当だったとしても、彼女の描き方はあまりに寛大さに欠けていた。その口調はあまりに意地悪だった。私は怒る気にもならなかった。ただ悲しく、うつろな、愕然とした思いを感じただけだった。最後の段落にたどり着くころには、結論はもはや自明だった。いまさら言葉にするまでもない。「私ははじめからピーターを愛してなんかいなかった」と彼女は書いていた。「愛せると思ったのがそもそも間違いだったのだ。私たち二人の暮らしはごまかしだ。こんな生活をつづけたところで、ますますたがいを駄目にしてしまうだけだ。私たちは結婚などすべきではなかったのだ。ピーターに乗せられてしてしまったけれど、以来私はずっとその代償を払っている。あのとき彼を愛してはいなかったし、いまも愛していない。どれだけ長く一緒に暮らしても、決して愛せないだろう」
何もかがあまりに断定的で、直截で、私はほとんどほっとしたくらいだった。ここまで蔑まれているとわかると、自分を哀れむ口実もなくなってしまう。もはや状況に関して疑う余地はなかった。読み出した瞬間にはいくらか動揺したものの、じきに、こうした惨事をわが身にもたらしたのは自分自身なのだと思い知った。私は絵空事を求めて、人生の十一年を無駄にしてしまったのだ。若き日々すべてをひとつの幻影の犠牲にしてしまったのだ。だが、たったいま失われたものを悼んで意気消沈してもよさそうなものなのに、私はなぜか元気が涌いてきた。ディーリアの言葉の容赦なさ、粗暴さによって、解放された気分だった。いまでは説明不可能な話のように思える。だがとにかく、私は躊躇しなかった。ディーリアの眼鏡を持って一階に下りていき、日記を読んだと彼女に告げ、翌朝家から出て行った。私の決断の早さに、彼女は仰天した様子だった。それまで二人ともとことん相手の気持ちを読み違えつづけてきたことを思えば、それも驚くにはあたらなかったかもしれない。私にしてみれば、語りあうべきことなど何もなかった。行為はすでになされてしまたのであり、考え直す余地などなかった。(pp.93-96)