保坂展人『ちょっと待って! 早期教育』

ちょっと待って!早期教育

ちょっと待って!早期教育

実家に置いてあった保坂展人『ちょっと待って! 早期教育』(学陽書房、1996)を通しで斜め読み。保坂氏が議員になる数年前の本。
ここで批判されている「早期教育」は(例えば「七田式早期教育*1のように)疑似科学を駆使して、早期教育をやらないと子どもの脳が駄目になるといった脅迫的なメッセージを親に送る。また、この本に紹介されている「早期教育」にはまる親、特に母親の性格はみな、端から見ていると、強迫神経症じゃねぇかと思う程、几帳面で律儀である。脅迫的な「早期教育」が流行る背景のひとつとして、育児をする主婦の社会的孤立、また育児に関する圧倒的な情報不足が挙げられる。元々極度に几帳面だった彼女らにとって、「マニュアル」化された情報や方法を提供する「早期教育」はとても魅力的なのだ。
早期教育」は「競争」の前倒しという意味を持つ。それに関して、1990年代中盤の経済情勢や社会情勢に関連づけながら、以下のように述べられている;


日本の高度経済成長の土台となったのは、自動車産業に代表される「大量生産型」の製造業だった。この時代の工場で、仕事場で企業が必要としたのは「効率」よく、せっせと手早く正確に物事を右から左へ片付けていく「処理能力」であった。まさに、この旧き量産時代の「学力」と「人材」の理想像が「偏差値エリート」であったのだ。
ひとつのことに深くとらわれ考えこまずに、短い時間で手際よく集中力を発揮して、浅く広くてきぱきと処理するマシン化した人間像。それは、チャップリンが『モダン・タイムズ』で描いた悲喜劇そのものだった。
偏差値とは、とどのつまりはどれだけ頭の中に丸暗記でためこんだ知識をテストペーパーに正確に書き出していけるかを数値化したのもで、考える力とは無縁である。こうした一面的な「学力」をそなえた「人材」は、今の日本には掃いて捨てるほどあふれている。かつて、企業が熱心にリクエストしたはずのマニュアル人間の若者たちは、お役御免として冷たく扱われる時代に入りつつある。
なぜなら、量産時代が終わって、本格的な空洞化時代の始まる日本では、一寸先は闇であり、予想のつかない状態となってしまったからである。こうした混迷期には、ロボットやコンピュータがとってかわることのできるマニュアルに侵されていない若者に、企業は魅力を感じ始めている。(pp.192-193)
これを読むと、1990年代中盤頃には、左翼的な人も、不況とか新自由主義による(「終身雇用」も含む)〈日本的経営〉の解体を寧ろ〈チャンス〉だと感じていたことに気づく。2009年の時点から後知恵的にいえば、それは半分は正しく、半分は間違っていたといえるだろう。
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090303/1236060278

ところで、保坂氏はこの本を執筆中に、自動車に撥ねられ、2か月間入院を余儀なくされ、この事故と入院による死生観の転換(pp.220-221)がこの本のトーンに少なからぬ影響を与えているようだ。

*1:「七田式」はトンデモであるというのは、既に常識化しているんでしたっけ?