銚子へ(メモ)

「ほととぎす 銚子は国のとっぱずれ」(鈴木金兵衛)


日曜日から月曜日にかけて銚子へ出かけた。
日曜日の午前中、津田沼から千葉に行き、千葉で特急に乗り換え。総武本線田圃の中を走る。早稲は既に刈られている。11時半くらいには終点の銚子に到着。駅の周辺を少しぶらぶらする。銚子に来たのは20数年ぶりなのだが、区画整理されて道が広くなって、街がすかすかな感じがして、何か変。それから、バスに乗って、「銚子ポートタワー」近くの「ウオッセ21」へ。その中の「魚座屋」で昼食。「魚座」ならぬ蠍座美川憲一の写真とかがある。妻はねぎとろ丼、私はイワシヅケ丼。「ウオッセ21」の辺りは既に利根川ではなく海になっている筈だが、その辺りの光景は、強い海風が吹き荒ぶ中、背の低い草草が繁茂し、テトラポットが野積みされ、荒涼として、素晴らしい。それからバスに乗って、「国木田独歩詩碑」へ。山側の住宅地の中に立っている。「なつかしき/わが故郷は何処ぞや/彼此にわれは/山林の児なりき」。揮毫は日夏耿之介国木田独歩は銚子の生まれだが、この石碑の場所が生家の場所であるかどうかは知らず。海の方に降り、君ヶ浜海岸を見ながら、犬吠埼まで歩いてしまう。ホテルは灯台のすぐ裏。翌日は午前中先ず灯台に登る。ところで、この本州最東端の岬が何故「犬吠埼」と呼ばれるのかは分からず。また、最後に犯人が岬に追いつめられ、荒海をバックに、海風に吹かれながら、自が罪状を告白しつつ逮捕されるというのは、〈二時間ドラマ〉の定番だろうが、前日も海岸を歩きながら、この近くでも殺人犯と刑事のペアが逮捕劇をやっているのかと妄想したのだった*1灯台から降りて、銚子電鉄犬吠駅まで歩く。終点の外川までは1駅。私たちが乗った電車は銚子電鉄のスポンサーになったらしい「桃太郎電鉄」尽くしの電車。外川の街は斜面に張り付くように家が密集する典型的な漁村といっていいのだが、路が碁盤の目状に張り巡らされているにも拘わらず、やはり迷ってしまう。路に迷って、立っているおじさんに訊いたら、東京の足立区から来ているのでわかるわけないと言われた。駅近くの「治ろう屋」という寿司屋で昼食。この店、既に暖簾も仕舞われていて、それでも店内に入ると、もうシャリがないので、1.5人前しかできないと言われる。勿論寿司も美味いのだが、この店のウリはそれよりも伊達巻き。それまで、お節料理に入っているような出来合いの伊達巻きしか食べたことがなかったのだが、この店の伊達巻きはそういうのとは違って、玉子がぷりぷりしている。惹句に曰く、「漁夫のプリン」。それから、また銚子電鉄で犬吠に戻り、愛宕山の上にある「地球の丸く見える丘展望館」へ行こうとするが、バスが1時間後にしか来ないので、とぼとぼと歩く。途中(銚子電鉄からも見えていた)「関東八十八カ所特別霊場」という「補陀落山満願寺」による。巡礼の老女たちと遭う。この寺は建物がけばく、仏寺としての味わいには欠ける。満願寺の横の路を上り、キャベツ畑を経て、「地球の丸く見える丘展望館」に着く。その脇に、フィリピンの方向に向かって建っている、「日比友愛の碑」という1958年に建立された碑あり。題字の揮毫は岸信介*2。どのような経緯や人脈によってこの碑が建立されたかはわからず。「地球の丸く見える丘展望館」に上ってから、バスに乗り、妻が鮑が食べたいというので、魚市場前の某料理屋で、鮑の刺身と秋刀魚の刺身。それから、少し甘めの「玉菊」。魚市場のところの岸に停泊していたのは銚子の船ではなく、高知県土佐市高知市)の漁船。また、鰯の干物とホウボウ*3の干物を買う。バスで駅に戻り、17:30分頃発の各停千葉行きに乗り、19:30分頃に千葉着。特急との差は30分くらい。

*1:酒井法子も、折角千葉の勝浦に家を持っているのだから、女優として、荒海を背景に逮捕されるよう、自らを演出すべきだったといえるだろう。

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060922/1158953499 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061010/1160499009 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070116/1168966875 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070903/1188853831 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081231/1230688443 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090826/1251225298

*3:漢字で書けば、魴とうおへんに弗という字。