髪の毛、そして処女のこと(メモ)

少女浮遊

少女浮遊

本田和子「「振り分け髪」の抄」(in 『少女浮遊』青土社、1986、pp.59-88)から。


「天武帝の十一年に、「自今以後は男女悉く髪を結べ」という詔が出されて、成人男女の結髪が定められた」(p.61)。この「結髪令」は「女人の髪形に国家が介入した最初の例」(p.67)。
さて、


毛髪は、いうまでもなく、単なる「もの」ではなく、肉体の一部に他ならない。しかし、髪の毛が極めて特異化されやすい肉体であるとは、既に多くの人々が指摘している。E・リーチやM・ダグラス*1の境界理論を挙げるまでもない。髪は、肉体の他の部分にもまして速やかに成長・増殖し、可視の形で代謝をくり返して、容易に外部の「もの」となる。すなわち、神経や内臓とは異なり、肉体の表層を覆って内と外の境界に位置しつつ、しばしば脱毛という形で身体から離れ、外在する異物と化して旧所有者にすらその外部性を際立たせる。成長の速やかさと所有者の意志を超えた増殖力のゆえに極めて生命的でもある毛髪は、その境界性のゆえに神秘さと不気味さでしるしづけられ、特別な意味を付与される。魔力や呪力など、しばしば超越的なものと結び付けられ、多くのタブーと関連させられるのもこの所以であろう。(pp.68-69)

(前略)整髪をめぐる諸法令は、身体の周縁部、すなわち生命体である人間の内と外の境界に、権力が介入してそれを秩序の中に組み込もうとする動きであった。(略)速やかに成長・繁茂する特異性は、意志や理性と無縁の原初の生命力を表象し、それゆえに「非秩序」を象徴する。従って、毛髪への統制は、非秩序的なものに対する秩序側の整序作用であった。と同時に、境界の「非日常性」、不分明なるがゆえの「聖性」への侵犯であり、日常的次元での権力の伸延をも意味しよう。毛髪は、身体の先端部を覆う目に著い標識でもあったから、その統制は、権力の存在を目に見える形で伝達すべく、恰好な視覚メディアでもあったのだ。律令制度の完成へと意を注いだ天武政権が、くり返し結髪令を布告し、しかも、女人のそれを対象にしたとは、極めて意味深い出来事と言えないだろうか。
しかし、女人の毛髪が、その所有主の「非秩序性」さながらに、容易にそれら統制になじまなかったのは、その後の歴史が物語るところである。すなわち、十一年の結髪令が十三年には、「男女四十以上は、結び結ばざるは意に任す」と改正されてその強制力を弱め、さらに、その後は、二転、三転しつつ、朝令暮改をくり返した。このことは、女人の髪形、延いではそれに象徴される女人の生のありようが、一篇の通達によって統制され得るほどに制度になじみやすいものではなかったこと、と同時に、にもかかわらず秩序の側は執念深くそれへの介入をくり返したという、興味深い相克の図式をあらわにしている。仮りに、女人たちが髪上げを諾って一応は型どおりに結い上げたとしても、時に応じては長く背に波打たせてその自在さを誇ることが無いとは誰が言い得よう。当然、逆もまた真である。たとえば、平安朝以降の風俗画に登場するのは、「やまと風」とでも称さるべき垂髪に戻った女人像である。しかし、こうした一般の中で、(略)子育てや労働に従事するらしい女たちは、ためらいもなく結い上げた髪を誇示して、時機に応じた自在さを表出しているではないか。正面切って「否」を唱えるか否かは別として、女人たちはこうして自ずから制度の外圧を無化し、それゆえに、「非秩序性」の体現者となる。(pp.70-71)
なお、「髪」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060729/1154197404 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060922/1158894351 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060929/1159532653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080326/1206501344 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081030/1225345006 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080721/1216577238 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090317/1237222621も。

本田さんはこのテクストの後の方で、『竹取物語』の「かぐや姫*2の拒否の身振りについて、「ここに見られるのは、それまでの自身に形成された、関係性の網の目の見事なまでの「切断」であった」と言い、さらに以下のように述べている;


「切断」は、しばしば「排除」と共に完全性を目指す男性意識の属性とされ、女性のそれは、その対極として何ものをも取り入れて、「受容する」、全体性志向であるとされている。しかし、この場合の女性意識とは、一般に、「母性」と称されるそれと同義ではないか。それに対して、(略)若い娘たちのそれ、あえて言うなら「乙女的なるもの」、「処女性」とでも呼ばれるべきそれは、鮮やかな「拒否」と「切断」でしるしづけられるように見える。
考えてみれば、「処女」とは、侵入する異性の拒否において成立する様態であった。ギリシャ神話最大の女神アテーナーが、それを代表する。慕い寄るヘーパイトスと逃げるアテーナー……。男たちが、生命力の自ずからなる奔騰のままに若い娘に近づこうと試みるとき、娘たちはそれを「犯される」と把える。ヘーパイトスこそ、若い娘との間に「犯し・犯される」という関係を作り出し、「拒まれる」という形で若い娘の「処女性」を浮き彫りにした功労者であった。アテーナーの頑強な抵抗ぶりは、ヘーパイトスの愛のしるしを空しく地に散乱させてしまうのだが、このとき、私どもは、次の事実に改めて目を見張らずにはいない。すなわち、同じ「女性」とひとしなみに括られてはいるが、「母性」と「処女性」の、このあからさまな対極性……。あらゆる異物を呑みこみ、異物としての輪郭さえ無化してしまう「母性」に対して、「処女性」は、頑なに己れを閉ざし、異物を拒む。もしかしたら、「乙女」とは、異性を退けるにもまして母を退け、「母性」から身を逸らす存在だと言えないだろうか。アテーナーは父神ゼウスが単独で生んだ娘、かぐや姫も竹の一節から生まれて、共に母とは無縁であった。(pp.76-77)
「少女」が性愛との距離において存立していることは、大塚英志(『少女民俗学』)も指摘していた筈。また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090804/1249412378とも関係するか。
少女民俗学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」 (カッパ・サイエンス)

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「髪」に戻ると、明治5年に「婦人ニテ謂レナク断髪スル者」が処罰の対象となっている。曰く、

愚かしく、滑稽な、さながらポンチ画めいた女人対策は、しかし、わが国近代化のその後の方向を極めて的確に指し示して象徴的である。明治以降の近代社会の歩みは、以前にまして「女性性」と「母性」の同義性を強調せねばならなかったし、都市市民階層のにない手として、「良妻賢母」を育成せざるを得なかったのだから。もしかしたら、「女大学」も「三従の教え」も、江戸期の因襲ではなく、明治の光で活性化された、近代的女性原理であったかも知れない。こう見るならば、明治五年の断髪禁止令は、性役割を特定し、その序列化を推し進めた近代化路線の、ものの見事な先取りであった。(p.79)