「鮫島」

昨日、うつらうつらしながら、静岡県震度6クラスの地震が起こったことを知った。
さて、http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090811/1249954088によれば、「磐田市鮫島では、地震に驚いて住宅の2階から飛び降りた男性(45)がけが」したという*1。「鮫島」という苗字は薩摩に多い。以前、薩摩の某鮫島さんが、この「磐田市鮫島」に言及して、自分の先祖は駿河から薩摩に移住したんだという話をしていた。これは、島津の先祖が源頼朝の御落胤だったという伝承と関係しているか。


(前略)島津家において現在でも重用されている系図である尚古集成館所蔵の「島津氏正統系図」には、島津家の家祖忠久の出自が、次のように記されている。やはり頼朝が伊豆の流人であった頃、比企能員の妹丹後局が頼朝の寵愛を受けて子を孕んだ。しかし、彼女もまた正室政子の嫉妬を恐れ、関東から上方に逃れて摂津国住吉に着いたときに男子が生まれた。この男子こそが島津忠久である。そしてその後、丹後局は関東にもどって惟宗広言に嫁いだため、忠久もまた惟宗氏として育てられたが、実際は頼朝の子であるというのである。(岡野友彦『源氏と日本国王』、p.153)
源氏と日本国王 (講談社現代新書)

源氏と日本国王 (講談社現代新書)

但し、これはあくまでも伝承にすぎず、島津家は鎌倉時代には藤原氏を名乗っており(p.155)、源氏を名乗るようになるのは15世紀以降にすぎない(p.156)。
また、「磐田市鮫島」といえば、「見附天神裸祭り」*2


See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070313/1173784258 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090118/1232295785