LとH

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/charis-772a.htmlに対して、


まず、濱口氏が誤解されているのと違って、リベラルアーツというものは、文学部にある(?)「世俗を斜めの視線で見る超俗の価値観」などではない。これら多様な学部がそれぞれの職業と結び付き、それぞれの「職業的レリバンス」を持ちうるためにも、共通の前提となる「教養知」のことである。古代中世ではなく、現代の大学の言葉に言い換えるならば、「市民的な共通感覚sensus comunis」を養うための、どの学部でも学ぶべき共通の知のことである。決して文学部だけにあるものではない。そもそも濱口氏の文学部に対する認識には偏ったところがある。
http://d.hatena.ne.jp/charis/20090807
このcharisという方の論はかなり共感するところ大なのだが、先ず濱口氏は人文学(humanities)とリベラル・アーツ(学藝と訳すべきか)を取り違えているというべきだろう。また、「文学部」にあるもの、文学と哲学だけではないだろう。重要なものとして、歴史学があるだろうし、さらには言語学や心理学。また、社会学や人類学も多くの大学で文学部に含まれている。
さて、charis氏がいう意味での、「「市民的な共通感覚sensus comunis」を養うための」リベラル・アーツ。私としては、アルフレート・シュッツを援用して、「博識の市民(well-informed citizen)」*1を養うための、といいたくなるが、「職業的レリバンス」というよりも寧ろ政治的なレリヴァンスを持つといえるだろう。
Collected Papers II: Studies in Social Theory (Phaenomenologica)

Collected Papers II: Studies in Social Theory (Phaenomenologica)

また、

>高度成長期に法学部や経済学部だけでなく文学部も大量に作られ膨張したのはなぜか、というと、・・・むしろ一生会社勤めしようなどと馬鹿げたことを考えたりせず、さっさと結婚退職して、子どもが手がかからなくなったらパートで戻るという女性専用職業コースをたどりますという暗黙のメッセージになっていたからでしょう。あるいは、結婚という「永久就職」市場における女性側の提示するメリットとして、法学部や経済学部なんぞでこ難しい理屈をこねるようになったかわいくない女性ではなく、シェークスピア源氏物語をお勉強してきたかわいい女性です、というメッセージという面もあったでしょう。*2



今日、文学部は大学全体で僅かな比率を占めるだけだし、女性は主として文学部にいるわけでもない。4年生大学の進学率が50パーセントを超えた今日、女子学生は多様な学部に属している。氏のリベラルアーツ認識が貧困なのは、文学部に対する認識が貧困であることのまさに「論理的帰結」ではないだろうか。今日は、これ以上論じられないが、大学における「職業的レリバンス」というものは、男性も女性も等しく働くようになった今日、「ジョブ型の有用性」よりももっと広く深いレベルから考え直されるべきであると思われる。私はもちろん「ジョブ型の有用性」を否定しない。しかし、大学の学部の多様性から見ても、すでに「ジョブ型の有用性」を十二分に持っている学部がたくさんあるのが現実である。現在の大学は「虚学」ばかりが支配的で、これをもっと「実学」化しなければならないという濱口氏の認識は、一部を見て全体を見られていないように、私には感じられる。この点は、氏とさらに意見を交換したい点でもある。

ここでは突っ込みがずれているように思える。濱口氏が「高度成長期」の話をしているのに、charis氏は「今日」を念頭に置いて、反論しているからだ。

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060108/1136726198 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080209/1202541178

*2:濱口氏からの引用の部分。見分けやすくするために、イタリックにした。